経験の価値は、人の気持ちがわかることだと感じた日。
すごい人だ。
金曜日の夕方。にぎわっている、の言葉は合わない。たくさんの人が待っている。そう、待っている、がふさわしい。
ここは病院の待合室。
順番を待つ人の気持ちは、それぞれ。
けれど、ひとつだけおなじことがある。それは、赤ちゃんを待っている、ということ。
年齢、環境、理由、もちろんばらばら。それなのに、どこかおおきな大きなひとつの目標に向かっている。決して手には触れられないし、距離だってつかめない。だけど、かならずそこにあるはずだ、あってほしいと信じて待っている。
職場のトイレ。
一本の赤い線が出た。それが入っていた箱の一例と何度も見比べた。だれかいっしょに見てほしい。だけど、スマホはデスクに置きっぱなし。予感と実感があわさって、いま目の前にある。
これは信じていいの?
一人じゃわからない。
母のアドバイスに頼って、病院にかけこんだ。すると、待っている人たちがたくさんいた。
進学、就職、結婚、妊娠。
人生の順番と節目は、それが当たり前、それがいいことだと思っている。正直、今も期待感で胸がいっぱいだ。結婚できたときも、うれしかった。けれど、ここがゴールじゃないってすぐに気づいた。
たいせつなのは、わたしが今この気持ちになるまでにしてきた体験。泣いた、話した、悩んだ、妬んだ、偽善者ぶった、人のせいにした。けれど結局、まわりまわって、やった通りにじぶんに返ってきた。
泣いたら悲しくなった。話したらすっきりした。悩んだらもっと悩むようになった。妬んだら苦しくなった。偽善者ぶったら、じぶんがイヤになった。人のせいにしたら、辛さが増した。
それは悪いことじゃない。みんな経験していること。だから、共有できる。すこしだけど、分かり合える。そうだよね、わたしもそうだった。でもね、て言える。それがたいせつ。
だから、悲しいこともうれしいこともぜんぶじぶんっていうのは間違ってない。もっと言えば、じぶんと違う人の気持ちも、じぶんと同じように考えられる。それが生きていく理由。
みんな同じじゃないけど、分かり合えたらうれしいよね。
死ぬときに、どれだけ人と痛みを分け合えたかが、その人の価値なのではと考えた。
さあ、次のドアが開く。
ここからが始まり。辛さもうれしさも、めいいっぱい噛みしめよう。その気持ちが誰かの次につながるから。
あみ