あなたの物語を書かせてください。
「人生を本にしたい」
はじめて会ったバイト学生に夢を語っていた。
時刻は朝の7時。私と彼が今やっていることは、受験生に部屋探しのパンフレットを渡すこと。9時から始まる試験のために、2時間前からここに立っている。名古屋駅から歩いて5分ほどの大きなビル。その入り口に学生と30過ぎの女。怪しいけれど、誰も気にとめない。
2月は受験シーズンのピークで、寒さも同じようにピーク。サラリーマンも、おばちゃんも、学生もポケットに手を突っ込んで、背中を丸めて歩く。早く建物の中に入りたいんだよね。私たちはずっと外。気を紛らわせたくて、適当にした話なんかじゃなかった。もうすぐ大学を卒業するという彼が、とりあえず就職するんじゃなくて、その前にサンフランシスコの機械か何かを学びに留学すると言ったから。まさに「将来の夢」を語ったから。
私も負けたくないと思った。この話を聞いて終わるだけじゃ恥ずかしいと思った。女として? 大人として? よくわからないプライドが、よくわからないけど毎日、毎日思い続けていることを語り始める。
「こうやって目の前を通り過ぎる受験生もさ、ここにくるまでに、いろんなことがあったはずなんよね。本人は親がウザイとか、受験なんてめんどくさいとか、はやく忘れたいことなんだと思うけど、私からすれば、それってぜんぶドラマ。人生って、みんなドラマみたいな話ばっかりやと思うんよ。親に怒られたことだってさ、後からぜったいにありがとうって言う日がくるし。どうでもよかったはずの話を、捨てずに拾って物語にしたい」
けっこう長めに語ってしまった。うざがられてもいいと思った。というよりとまらなかった。それなのに彼は、その日はじめて私のほうを見て、「それ、めっちゃいいじゃないですか! 結婚式とかにも使えそうですね!」とキラキラした目で言った。
約1年半前にたった一度だけ会った、あの彼は今頃どうしているだろう。もう留学から帰ってきて、やりたいこと見つけたかな。時給のいい早朝バイトに来ただけなのに、いきなりオバチャンの夢を聞かされたことなんて、もう忘れているよね。
でも私はずっと忘れない。負けまいと思って、勢いで語った夢をもっと膨らませてくれた。あの時、あなたに話してよかった。あなただったから話したんだろうね。彼が言った「結婚式」は、まさに人生の節目。親もきょうだいも、おじいちゃんも、おばあちゃんも涙がとまらない。うれしいはずなのに、こんなにも泣けるものなのか。
後悔も、ごめんねも、やり残したことも意味があったと思える。たくさんの思いがあふれる中、たったひとつにスポットを当ててみたい。そこから広がる家族の物語。そして、今日の一日もまた過去になる。あなたのこれまでとこれからを書きたい。なんてことない一日も、書きとめておけばもう二度とこない特別な日になる。なんてことない人生なんて、ないし。ぜったいに。
わたしにあなたの物語を書かせてください。