まいにちワンダーランド

~過去をはき出し光に変える毒出しエッセイ~森中あみ

世界中から、のび太ママがいなくなりますように


「知らんで!」
「あかんで!」
「やめろや!」


きょうだいゲンカであってほしい。その思いはいつも砕け散る。恐ろしくて、ふり返ることもできない。わざと歩くスピードをゆるめ、声の主を確かめる。それはいつも母親なのだ。

 

 

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のび太ママは、いつも怒っている。

身に覚えがある。「あ、それはダメよ! そっちは危ない! こらー! またやったのかー!」私が娘にかける言葉。ダメダメダメのオンパレード。まるでドラえもんに出てくるのび太のママ。のび太ママはいつも怒っている。「のーびーたぁー!」と鬼のような顔で。

 

 

のび太は逃げるだけで、何も反省しない。なぜなら、どうしようもないから。だって、宿題はどう考えてもやりたくないし、マンガはおもしろいし、遊びに夢中になっていたら帰る時間なんて気にしちゃいられないし。

 



のび太ママは、「何回、同じこと言わせるのー!」と怒る。そりゃ、そうだ。赤ちゃんじゃないんだし。言ってることはのび太もわかるはず。だけど、できない。その繰り返し。怒るお母さんと子どもは、いつだってそうなのだ。

  

 

のび太ママは、日本中にたくさんいる。わたしも含め。

昨日、夫と子どもと3人でマクドナルドに行った。日曜日の午後で子連れファミリーが多かった。混んでいる店内を避け、外のテラス席にでると、うちと同じように3人家族が座っていた。途中でお父さんが駐車場に荷物を置きに、席を立った。わたしは子どもにおやつをあげながらふと、その母親に目をやった。

 

 

見てはいけないものを見てしまった。ぶすっとした顔で、腕組みしたままテーブルをにらんでいる。ただならぬ雰囲気。斜め前に座っていた小学4年生くらいの娘は、じっとかたまって動かない。お父さんが戻ってくると、女の子はパッと席を立って駆け寄った。お父さんを見上げながら腕をからめて、2人にしかわからない話を始めた。

 


またある日の夕方、イオンを歩いていると後ろから突然、「やめろや!」と聞こえた。胸に刺さる。母親が息子にどなっていた。その子も小学生だった。男の子はおむつの大きな箱を乗せたカートを押していた。両親は手ぶらで、ただずっと前を向いて歩いていて、その目は笑っていなかった。息子が母親にちょっかいを出したか、カートで遊ぼうとしたのか。頭の中がぐるぐるまわる。一生懸命カートを押しながら、両親を振り返ったときの怯えたような目が忘れられなかった。

 

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母親の目は何を見ているのか

 

なぜ、そうなってしまうのか。人のことは言えない。だからこそ考えなければいけない気がする。そういえば、のび太も小学生。小学生ともなれば言葉が通じるから、言ってることはわかる。わかっているのに、なぜできないんだ! という親の怒り。よくわかる。だけど。

 


マクドナルドのお母さんは何を怒っていたのか。「知らんで! あかんで!」と声が聞こえたと旦那さんに聞いた。またぐるぐる妄想。娘が何かしたいと言った。そんなことしても意味ないと思った。あぶないことなら、どうなっても知らんで。そんなことしたらあかんで。そういう意味だったのかもしれない。胸が苦しい。テーブルをにらんでいたお母さんの目。前を見つめるだけのお母さんの目。のび太ママの鬼のような三角の目。わたしの目は、どうなっているのか。

 


こうして欲しい。こうしたほうがいい。長く生きるほど経験が増えて、目の前にいるわが子が、どうすれば最善なのか、すぐにわかるようになる。やっても意味のないこと、どうでもいいこと、めんどくさいことは時間のムダだからなるべく無くしてあげたい。だから、子どもが違う方に行こうとするとイライラする。だから、そうじゃないんだよ! なんでわからないの! それがトゲのような言葉になって飛び出す。

 

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やってみたいこと、楽しそうなことをわけもわからず、強制された子どもたちが大人になったとき

 

だけど、子どもにとっては初めての経験。やってみないとわからない。お母さんの言うとおりになるかもしれないけれど、やらないことには納得できない。だから、いきなり怒られると怖くなる。怒られる理由がわからないから、おびえる。歯向かえるほどの経験がないから、次の一手なんてでてこない。押し黙った女の子。怯えていた男の子。こわくて逃げ出すのび太。びくっとする娘。

 

 

やってみたいこと、楽しそうなことを、わけもわからず強制された子どもたちが大人になったとき、また同じようにのび太ママになってしまうような気がする。失敗はダメ、おちこぼれはダメ、みんなと同じように。私もそう思っている。子どもをそういう目線でしか見ていない。だからダメダメしか言わない親をしている。

 



優しい心を持ったのび太は、しずかちゃんと結婚して幸せになった。ママの言うことを聞かなくても大人になれるのなら、あんなに怒らなくてもよかったんじゃないかと思いたい。だって、怒っているのび太ママは、いつもイライラしていてかわいそう。

 

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子どもは自分の分身のようだから、子どもが思い通りにならないのは、自分で自分が思い通りにならないのとおなじ?

 

子どもを育てる責任感。身にしみてよくわかる。子どもは自分の分身のようだから、子どもが思い通りにならないのは、自分で自分が思い通りにならないのと同じ気がする。だから余計にいらだつ。のび太ママは、もっと気楽に生きていいと思う。のび太がおちこぼれでも、自分を責めないでほしい。のび太は、のび太なのです。お母さんじゃない。

 

 

命を守るのは親の責任だけれど、そこから先はもう飛び立たせて。子どもはあなたじゃない。だから、あなたの考えとは違うことをする。あたりまえの話。のび太は、どらえもんと一緒に逃げ続けてもちゃんと大人になれた。ママにそれを教えてくれた。そう思ったら、これからはのび太を、わが子を違う目で見られるような気がしてきた。



世界中のママが、子育ての重圧から解放されますように。ほら、のび太はあんなに立派になったんだから。

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