まいにちワンダーランド

~過去をはき出し光に変える毒出しエッセイ~森中あみ

言葉には裏がある。誰も信じないか、信じるか私の選択。

「あんたは、思ったことがすぐ顔に出るけん」

母にそう言われるときは、褒められているのではない。

あきれ顔の母を見る勇気は、これまで一度ももったことがなく、へへへ、と笑いで返すのがせいいっぱいだった。

小学生の頃は、子どもだからと教えてくれていたのかもしれないけれど、高校生になっても、社会人になっても、そのクセは治らず、もうすぐ私は41歳になる。

「ありのままの姿見せるのよ、ありのままの自分になるの」

このフレーズは女性の間で、はやったと聞いた。3歳になる娘と映画館にいったときは、長期休み中ということもあり、母親と子どもというペアで見に来ている人が多かったように思う。

子どもよりも親が涙したという話も、疑わない。私もエルサが氷河を超えて、本当の自分らしきものに触れたとき、涙をこらえた。もう亡くなっている父母との思い出、姉妹の記憶、走馬灯のように流れていく過去はすべて意味があったとイメージさせる映像に、それを見ている母親たちは自分を重ねていたはずだ。

私も今、ありのままで生きられたらと思うことばかりである。

母は私をウソがつけない不器用な子だと思っているかもしれないが、私はいつも言いたいことが言えずに、こうやって書くことで自分の気持ちを確かめている。本当のことが言いたい。思っていることを、その場で素直に伝えたい。いつも、そう思っている。

だけれど、ここぞというときに母のフレーズがよみがえる。

「あんたはすぐに顔にでるんやけん」

それは、思っていることを飲み込めない、思ったことをストレートに表現するのはダメなことだと言われているのだった。

ありのままで生きるとは、真逆の意味だ。

どうしてなんだろうという疑問はぶつけられていないけれど、40歳をすぎた今、認めざるを得ない。

人生はいかにうまく生きられたか、だ。

思ったことを素直にいうと波風が立つ。だから飲み込んで、その場をうまく収めて、みんなが気持ちよくいられることが大人としてうまく生きるコツで、それが最終的には自分や家族のためになるんだと母は言いたいのだろうし、私も最近のニュースを見ていて、夫とそうだよね、と納得することがあった。

やっと私も大人になったのだろうか。

母とおなじくらい私を理解してくれているはずの夫は、ありのままで生きる私をいつも笑ってくれる。

母と同じように、あきれ顔だけれど、その顔は笑っているし、私も夫をまっすぐ見て笑うことができる。

そんな人と出会ったことは、人生最大の奇跡だと9年たった今でも自慢できるけれど、「ありのままで生きること」と「うまく生きること」を天秤にかけたときに、どっちを優先すべきなのか、わからなくなる。

ホンネはありのままがいいに決まっている。それは自分が気持ちよいからだ。だけれど、自分が気持ちよいだけで、真の前の相手が気持ちよくないのであれば、まわりまわって、自分も気持ちよくない事態に巻き込まれてしまうのではないか。

そう思うと、長年積み重ねてきた「本音は隠して生きる」ほうが勝ってしまうので、私は義理の両親とも、会社とも、家族ともそれなりに「ありのまま」を忘れずに、「うまく」やれる生き方に落ち着いてきた。

夫といっしょにいることで、バランスが取れてきたのは確かだ。

夫には感謝しなければいけない。

だけど、最近、ひとつだけ気になることが出てきた。

夫は関西人なのだが、関西人は言葉に感情を乗せないらしい。

夫と会話をしていて、「それ、どういう意味?」と私が聞き返しても、夫はつい3秒前に自分が言ったことを忘れて、「え、なんて言ったっけ?」と信じられない返事をする。そして、私がさっきこういったやん、と教えると、「あ、ただ言っただけ」ともっと信じられない答えを返してくることが増えた。

ただ言っただけなら、言わんでいいやん。

産後の母親は、夫ですらも敵対視するほど子どもを守る本能がスパークするらしい。ペンは剣よりも強しという言葉の武器で傷つけられないように、産後の私は会話にも殺気を感じるようになっている。

夫はいつも通りの会話をしているらしいが、私にとってはすべてが娘たちと生き延びていくための策。一瞬たりとも見過ごせない。

私にとって会話とは、いつも感情が乗っていて、相手の返しを待っている。だが、夫にとっては単なる、言葉のやり取り。そこに意味は求めていない。

はぁ?

そんな会話になんの意味があるのか。

そんな意味のない会話をする夫婦に意味はあるのか。

ほかにも関西人とのやりとりで、「そんなこと言って、なんになる? お前は子どもか!」と思うことがあった。いら立ちを超えて怒りになり、あんなに感謝していたはずの夫との「離婚」というフレーズまでチラつくくらいだったのだが、これを書いていて、また私の中の母が言う。

「あんたは思ってることがすぐにわかる」

あぁ……。子どもみたいだとバカにしていた関西人の会話。それは私だった。

相手のことを思いやらずに、すぐに口に出す関西人。

相手のことを思いやる以前に、顔に出てしまう私。ちなみに九州人。

何人かなんて、関係ないのだろうね。

言葉にはすべて意味がある! だから、言葉は大事だ! と鼻息荒く語る私ですが、小さい頃から言われ続けてきた母の助言に反発していた私、ありのまま映画に涙した私、夫と出会えた私、関西人の配慮のなさに怒っていた私、すべてをひっくるめて、言葉に意味をつけるのは自分なんだな、と。

私の自信のなさ、幸せ度、疲れ具合、それらの状態が受けた言葉の裏を読んでしまうんだな。

つまり、信じるか、信じないかは私次第なんだな、と月並みな結論に行き着くのでした。