まいにちワンダーランド

~過去をはき出し光に変える毒出しエッセイ~森中あみ

「わたし、引き寄せました!」 って、すごく言いづらいんですけど言いたい。

「わたし、引き寄せました!」

って、すごく言いづらい。

言えるのは家族まで。友達でも1パーセントくらい。ごくごく少ない人、それは向こうからそんな話をしてくれた人。これ言っても大丈夫だな、と感じられた人。つまり、嫌われない人。

もしかしたら、会社の隣のデスクの人も私とおなじYouTube見まくってるかもしれないのに、ランチのときにそれを話題に出さない。出せない。コワい。

思考は現実化するとか直感で生きるとうまくいくとか、本もたくさんあるし、かわいくておしゃれなユーチューバーさんたちが言ってたりするのに。

なんでだろうってことに答えが出た。

 

引き寄せとか言ってるなんて、浮足立ってる。

なんかバカっぽい。

もっとちゃんと生きたらいいのに。

 

誰からも言われてないのに、言われてる気がする。

 

だけど、これなら言える。

「ご縁ですよね」

 

目の前にいる人、少し前に会ったことのある人、そんな人を話題にして「ご縁があった」「ありがとう」なら言える。声を大きくして言える。感謝の気持ちを伝えられるステキな人になれるから。

 

だけどこれも結局、引き寄せやん?

 

出会うまでの流れとか、出会ったことで何かいいことがあったのなら、引き寄せたって言ってもいいよね?

 

じゃあ、なんでご縁ですよねは言えるのに、これは引き寄せましたよねは言えない?

 

それはご縁は相手ありきだけど、引き寄せは自分主導だから。

 

引き寄せは私ががんばったから。

 

ご縁はあなたがいたから。

 

人は一人では生きていけない。

 

みんなわかってる。

 

素晴らしいことだって無意識でも気づいてる。

 

それを「ご縁ですよね」は含んでるけど、「引き寄せたー!」には入ってない。

 

だから私「引き寄せた!」って思うこと、これまでめちゃくちゃあるのに言えなかったんだ。

 

あーやっとわかった。

 

隠してるみたいで気持ち悪かったけど、これからは「ありがたいことに」を付けたら、私の直観力や引き寄せ力をハッピーエピソードとして気軽に話せる。

 

つまり言いたいのは、引き寄せも直感もご縁もぜんぶおなじ。

 

言葉からイメージする先が違うだけ。

 

人は一人では生きていけない。

 

それが人間に生まれて感じられる一番の感謝の気持ち。

 

だから、みんな自分以外の人への感謝の気持ちで「引き寄せた(ありがとう)」って言ってるはずだから、引き寄せの法則じゃなくて、ご縁の法則とかって本だったらよかったのにな、と思ってみたりする。

 

私、これで本出しちゃう?

 

ありがたいことに~って言ってるかな!