出産記録/望めば叶う
おなかの凹みを確かめる。あれは夢じゃなかったんだ。20時間の出産記録です
。
2016年10月10日体育の日。
日付が変わった深夜2時。
10分間隔のおなかのハリ、昨晩からの出血が果たしておしるしなのか、危険はないのか確認するため、病院へ来るよう指示される。あわてて病院まで送り届けてくれた父のチャックが全開だったことは、おそらく後世まで笑い話になる。
3時。
出血に問題はなかったが、念のため入院を勧められる。もしかしたら明日、帰ることになるかもしれないが。725号室。最終的に、この秋桜の部屋で破水し、分娩室へ運ばれることはこのとき誰も予想せず。
8時。
朝ごはんがでる。気持ち悪い。匂いを嗅いだだけで吐き気。いつもの体じゃない。食べないとお産につながりませんよ、と言われるけどムリー泣
11時30分。
陣痛間隔かわらず。腰がイタイ。病院にいると気が滅入ることもあるので、一旦帰宅もお任せしますよ、と提案される。
13時。
母が迎えにきた。けれど陣痛は続いていて、少しずつ強くもなりかけているので、帰宅よりもこのまま入院を、と提案が一転。すでにこの時点で痛みが激しく声が出ない。「そりゃムリに決まってる!」とベッドの上でことばにならない悶絶。
昼食はムリしてでも食べるようにと母から強く押され、鳥のささみを吐きそうになりながらもぐもぐ。く、苦しすぎる(涙目)
この時点で子宮口1.5センチ。
全開の10センチまでは、ほど遠い。
14時。
母と院内を歩く。途中で激しい痛みがくると、手すりにつかまり立ち止まる。テレビでしか見たことなかった光景。それを今やってる。頭の中は冷静。
15時。
おふろに入れば、陣痛が促進されると聞き、腰の痛みに耐えながらのシャワー。母に介護されながら。なんだこの感じ。違和感は打ち消す。これで一気にいってくれれば、と望みをたくす。
17時。
陣痛とおなかのハリを測るモニターを付ける。40分から1時間横になってただ痛みに耐えるだけ。ベッドのそばでウツラウツラする母に申し訳ない。もう帰っていいよ、という。ほんとは心細いけど。いや、いいよ、ギリギリまでいるからと答えてくれる。
内診。子宮口3センチ。絶望的。唯一の救いは助産師さんたちの「破水すれば、一気にいきそうだねー!」の明るい声。陣痛のツボ、スクワット、骨盤体操を教わる。
18時。
苦しみの夕食。母が「隣で見てるだけで辛い」と言う。胃が受け付けないものを何度も口の中で噛みしめ、流し込む。突然、激しい腰の痛みに襲われる。と同時に足が震えだす。
18時23分。
旦那さんから応援のラインがくる。今すぐ行ってあげたいけれど、私に止められているからガマンする、と。財布を忘れて買い物に行ったと、サザエさんエピソードの笑いを交えて。
いつ出産かもわからないのに、むやみに仕事を休ませられない、と「来てほしい」の連絡を思いとどまっていた。
ほんとは今すぐ会いたい。足がガクガクふるえる中、号泣してしまう。それを見た母が返信できない私の代わりに、彼にラインを返す。「ほんとは会いたいけれど、ガマンしています」と。
20時。
面会時間がおわり、母、一時帰宅。このまま朝を迎えるかもしれないのに、甘えてばかりいられない。母帰宅後、「あみは強し」のラインをもらう。ここでわたしの気持ちにスイッチが入る。
砕け散りそうな腰の痛みをたずさえて院内を歩く。立ったまま陣痛を待ち、腰の痛みがくれば柱につかまり腰を伸ばす。そうすれば一瞬だけ痛みが和らぐことをやっと発見。
20時30分。
内診。「今日中に旦那さんにきてもらえる最後の望みですね」と看護師さんに言われながら足を開く。京都から博多への最終新幹線は、たしか21時25分だったはず。今走ってもらえれば、間に合うかも。
子宮口4センチ。ダメだな。母と旦那さんに今日はムリそうだから、もう寝てくださいとラインをする。
22時。
シンと静まり返る病室で恐怖の痛みを待つ、耐える、待つ、耐えるの繰り返し。立ちっぱなしも疲れ、ベッドサイドの手すりにつかまり、腰を伸ばしながら耐える。一瞬、ぽこっと出口で何かが破裂する感覚。確認するも破水ではない。残念。
23時。
痛みが襲って来るのがわかる。手すりにつかまる。おしりから何かがでそう!もう耐えられない!腰を伸ばすと下から水がでる。2回。はじめての感覚。はじめてナースコールを押す。
内診。「破水ですね、あ、8センチになってる!すぐに行きましょう」聞きたかった言葉が意識の中で遠くに聞こえる。
分娩室へ車イスを押されながら、「お母様にご連絡しますか?」と聞かれる。旦那さん、母の顔が浮かぶ。「もう生まれますよね」と聞き返す。「そうですね、日付は明日になるかもしれないですけど」「それならいいです」と答える。ここで父と母に体力、精神的負担をかけたくないと思った。連絡をするときは、うれしい報告にできる確信があったから。「わかりました」とすんなり聞き入れられる。
23時10分。
分娩台に乗る。助産師さん3人がバタバタとわたしの左右、上下を行き来する。その真ん中で足を開き、「フーーーーー、ヒー、フーーーーー、ヒー」を繰り返す。この20時間で身につけた、もうムダな痛みに耐えないようにするための技。はじめて声に出したフーは赤ちゃんにも届いてる気がした。
23時15分。
準備を整えた助産師さんが叫ぶ。「あ!もう全開になってる!すごい!赤ちゃん、今日中にでてきますよ!」今までフー、ヒーしか言ってなかったわたしが「今日中に産みたかったんですっーーー!!」と叫ぶ。「産まれます!産みましょう!」と緊張気味の助産師さんたちの笑顔が見えた。目はつぶっていたのだけど。
23時20分。
分娩台に上がってから2度目の陣痛。「もういきんでいいですよ!はい、息を一度はいてー、すってぇー、止めたまま、はい!いきんでー!!」うぅーーー。うぅーーー。うぅーーー。自然と声がでる。「声は出さないで!」なんでやねん!と心の中でつっこむ。
ぐにゅにゅにゅ。あたまがでてきてる感覚。「上手!赤ちゃん、もう見えてる!」ほめられたものの、出口であたまがはさまってる。「い、いたい」弱音が出る。「いたいよね!でも、次で赤ちゃんでてくるから!次ででるよーー!」励まされる。
23時25分。
うぅーーー。頭がでる。うぅーーー。体がでる。うぅーーー。足がでる。「はい、力抜いて!」最後にバタバタっと足がでていくのがわかった。
「23時27分!」
わたしたちの娘がこの世に産まれた。顔の近くで赤ちゃんを見たとき、声にだして泣いた。「ありがとう。がんばったね」旦那さんのラインを見たとき、半分だけガマンしていた涙。ぜんぶ出した。
この子がわたしに教えてくれたもの。
「望めば、叶う」
「どうして今日なんですか?」と助産師さんに聞かれた。
「智子って名前にしようと思ってて、ともこの「と」と10月は「とう」つながりだし、どうせなら「10月10日」が覚えてもらいやすいし、いいんじゃないって旦那さんと話してたんです」
たった、それだけのこと。でも、わたしたち夫婦にとって今日しかない日。おなかにまいにち話しかけてた。「ともちーん、10日に産まれておいでねー」親の勝手な願い。それをこの子は聞いてくれてた。しかもギリギリのタイミングなんて、ドラマやないかーい!
喉元過ぎれば熱さを忘れる、なんて痛みじゃなかった。もう二度と経験したくない。だって、この痛みは、「伝えれば、伝わる」を実体験をもって教えてくれたから。忘れたくなんてない。
7階の病室にはすべて、ちがうお花のマークが付いている。725号室の花は、秋桜。10月の花。ちょうど3年前、わたしたち夫婦がはじめてデートしたのは、亀岡の秋桜園だった。
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2016年10月10日体育の日。
日付が変わった深夜2時。
10分間隔のおなかのハリ、昨晩からの出血が果たしておしるしなのか、危険はないのか確認するため、病院へ来るよう指示される。あわてて病院まで送り届けてくれた父のチャックが全開だったことは、おそらく後世まで笑い話になる。
3時。
出血に問題はなかったが、念のため入院を勧められる。もしかしたら明日、帰ることになるかもしれないが。725号室。最終的に、この秋桜の部屋で破水し、分娩室へ運ばれることはこのとき誰も予想せず。
8時。
朝ごはんがでる。気持ち悪い。匂いを嗅いだだけで吐き気。いつもの体じゃない。食べないとお産につながりませんよ、と言われるけどムリー泣
11時30分。
陣痛間隔かわらず。腰がイタイ。病院にいると気が滅入ることもあるので、一旦帰宅もお任せしますよ、と提案される。
13時。
母が迎えにきた。けれど陣痛は続いていて、少しずつ強くもなりかけているので、帰宅よりもこのまま入院を、と提案が一転。すでにこの時点で痛みが激しく声が出ない。「そりゃムリに決まってる!」とベッドの上でことばにならない悶絶。
昼食はムリしてでも食べるようにと母から強く押され、鳥のささみを吐きそうになりながらもぐもぐ。く、苦しすぎる(涙目)
この時点で子宮口1.5センチ。
全開の10センチまでは、ほど遠い。
14時。
母と院内を歩く。途中で激しい痛みがくると、手すりにつかまり立ち止まる。テレビでしか見たことなかった光景。それを今やってる。頭の中は冷静。
15時。
おふろに入れば、陣痛が促進されると聞き、腰の痛みに耐えながらのシャワー。母に介護されながら。なんだこの感じ。違和感は打ち消す。これで一気にいってくれれば、と望みをたくす。
17時。
陣痛とおなかのハリを測るモニターを付ける。40分から1時間横になってただ痛みに耐えるだけ。ベッドのそばでウツラウツラする母に申し訳ない。もう帰っていいよ、という。ほんとは心細いけど。いや、いいよ、ギリギリまでいるからと答えてくれる。
内診。子宮口3センチ。絶望的。唯一の救いは助産師さんたちの「破水すれば、一気にいきそうだねー!」の明るい声。陣痛のツボ、スクワット、骨盤体操を教わる。
18時。
苦しみの夕食。母が「隣で見てるだけで辛い」と言う。胃が受け付けないものを何度も口の中で噛みしめ、流し込む。突然、激しい腰の痛みに襲われる。と同時に足が震えだす。
18時23分。
旦那さんから応援のラインがくる。今すぐ行ってあげたいけれど、私に止められているからガマンする、と。財布を忘れて買い物に行ったと、サザエさんエピソードの笑いを交えて。
いつ出産かもわからないのに、むやみに仕事を休ませられない、と「来てほしい」の連絡を思いとどまっていた。
ほんとは今すぐ会いたい。足がガクガクふるえる中、号泣してしまう。それを見た母が返信できない私の代わりに、彼にラインを返す。「ほんとは会いたいけれど、ガマンしています」と。
20時。
面会時間がおわり、母、一時帰宅。このまま朝を迎えるかもしれないのに、甘えてばかりいられない。母帰宅後、「あみは強し」のラインをもらう。ここでわたしの気持ちにスイッチが入る。
砕け散りそうな腰の痛みをたずさえて院内を歩く。立ったまま陣痛を待ち、腰の痛みがくれば柱につかまり腰を伸ばす。そうすれば一瞬だけ痛みが和らぐことをやっと発見。
20時30分。
内診。「今日中に旦那さんにきてもらえる最後の望みですね」と看護師さんに言われながら足を開く。京都から博多への最終新幹線は、たしか21時25分だったはず。今走ってもらえれば、間に合うかも。
子宮口4センチ。ダメだな。母と旦那さんに今日はムリそうだから、もう寝てくださいとラインをする。
22時。
シンと静まり返る病室で恐怖の痛みを待つ、耐える、待つ、耐えるの繰り返し。立ちっぱなしも疲れ、ベッドサイドの手すりにつかまり、腰を伸ばしながら耐える。一瞬、ぽこっと出口で何かが破裂する感覚。確認するも破水ではない。残念。
23時。
痛みが襲って来るのがわかる。手すりにつかまる。おしりから何かがでそう!もう耐えられない!腰を伸ばすと下から水がでる。2回。はじめての感覚。はじめてナースコールを押す。
内診。「破水ですね、あ、8センチになってる!すぐに行きましょう」聞きたかった言葉が意識の中で遠くに聞こえる。
分娩室へ車イスを押されながら、「お母様にご連絡しますか?」と聞かれる。旦那さん、母の顔が浮かぶ。「もう生まれますよね」と聞き返す。「そうですね、日付は明日になるかもしれないですけど」「それならいいです」と答える。ここで父と母に体力、精神的負担をかけたくないと思った。連絡をするときは、うれしい報告にできる確信があったから。「わかりました」とすんなり聞き入れられる。
23時10分。
分娩台に乗る。助産師さん3人がバタバタとわたしの左右、上下を行き来する。その真ん中で足を開き、「フーーーーー、ヒー、フーーーーー、ヒー」を繰り返す。この20時間で身につけた、もうムダな痛みに耐えないようにするための技。はじめて声に出したフーは赤ちゃんにも届いてる気がした。
23時15分。
準備を整えた助産師さんが叫ぶ。「あ!もう全開になってる!すごい!赤ちゃん、今日中にでてきますよ!」今までフー、ヒーしか言ってなかったわたしが「今日中に産みたかったんですっーーー!!」と叫ぶ。「産まれます!産みましょう!」と緊張気味の助産師さんたちの笑顔が見えた。目はつぶっていたのだけど。
23時20分。
分娩台に上がってから2度目の陣痛。「もういきんでいいですよ!はい、息を一度はいてー、すってぇー、止めたまま、はい!いきんでー!!」うぅーーー。うぅーーー。うぅーーー。自然と声がでる。「声は出さないで!」なんでやねん!と心の中でつっこむ。
ぐにゅにゅにゅ。あたまがでてきてる感覚。「上手!赤ちゃん、もう見えてる!」ほめられたものの、出口であたまがはさまってる。「い、いたい」弱音が出る。「いたいよね!でも、次で赤ちゃんでてくるから!次ででるよーー!」励まされる。
23時25分。
うぅーーー。頭がでる。うぅーーー。体がでる。うぅーーー。足がでる。「はい、力抜いて!」最後にバタバタっと足がでていくのがわかった。
「23時27分!」
わたしたちの娘がこの世に産まれた。顔の近くで赤ちゃんを見たとき、声にだして泣いた。「ありがとう。がんばったね」旦那さんのラインを見たとき、半分だけガマンしていた涙。ぜんぶ出した。
この子がわたしに教えてくれたもの。
「望めば、叶う」
「どうして今日なんですか?」と助産師さんに聞かれた。
「智子って名前にしようと思ってて、ともこの「と」と10月は「とう」つながりだし、どうせなら「10月10日」が覚えてもらいやすいし、いいんじゃないって旦那さんと話してたんです」
たった、それだけのこと。でも、わたしたち夫婦にとって今日しかない日。おなかにまいにち話しかけてた。「ともちーん、10日に産まれておいでねー」親の勝手な願い。それをこの子は聞いてくれてた。しかもギリギリのタイミングなんて、ドラマやないかーい!
喉元過ぎれば熱さを忘れる、なんて痛みじゃなかった。もう二度と経験したくない。だって、この痛みは、「伝えれば、伝わる」を実体験をもって教えてくれたから。忘れたくなんてない。
7階の病室にはすべて、ちがうお花のマークが付いている。725号室の花は、秋桜。10月の花。ちょうど3年前、わたしたち夫婦がはじめてデートしたのは、亀岡の秋桜園だった。