書くとはトイレにいくようなものである。
書く理由をことあるごとに宣言してきた。
なぜなら、書くことはとてもツラく、ないものをしぼり出すようなことだから。それでも奮い立たせるため、なぜ書くのかをじぶんに言い聞かせ続けてきた。
ところが、その考えが大きく崩れた。
書くことは、トイレにいくようなものである
- 始めると、とめられない
- 終えたあと、とてもすっきりする
- 一日あくと、落ち着かない
これは、トイレといっしょではないか。つまり、わたしはツラいことを続けていたのではなく、書くとすっきりするから書いていたのだ。
わたしが書く理由。それはトイレと同じようにあたりまえだから。ということは、自分から出たものがどんな形であろうと、どんなタイミングであろうと、誰にもとがめられるものではない。
そう思えば、何もツラくない。出ないときは、出ない。水分や運動が足りないだけ。数日待てば、出てくるはず。
ただ、できれば毎日出したい。何も食べない日はないように、何も感じない日もない。感じたことを消化し、外にだす。それはわたしにとって、毎日のことでありたい。消化不良は気持ちわるい。
そうなりたいから、わたしは今日も書きました。あ、出せました。あー、スッキリした。