富士山なんて登らなくても、一番になれるんだから

逃げ帰ったようなもんだった。周りから見れば、東京に残らずに実家のある福岡に就職先を見つけただけ。だけど、私の気持ちは違った。もうここからでることはないんだろうな、と思った。親に干渉されずに一人で生きたいと思って飛び出したのに、一人で生きることの淋しさだけを覚えた東京だった。

 

淋しさをうめる時間は、思った以上に長くかかった。どんなに親に甘えても足りなくて、もう私は一人では生きられない人間なんだと諦めかけていた。だけど、どうしても好きな人ができたとき、また一人で外に出てみたくなった。逃げ帰ってきてから10年が経っていた。京都に転勤願いを出した。

 

3ヶ月後、思いもよらないところにいた。日本で一番高いところ。もう一度一人でやってみようとは思ったけれど、富士山に登るつもりはなかった。本当にそんなつもりはなかったのに、そこで見た星がずっと忘れられなくなった。目線と同じ高さにある星。その後、山頂で見たギラギラの太陽よりも、手の届きそうなところにあった星の方が、今も私を静かに感動させる。

 

縁とはフシギなもので、京都で与えられた社宅の下の階に住んでいたアクティブな後輩が、富士山に誘ってくれた。三連休の台湾旅行がキャンセルになって、どう過ごそうかと思っていたところで、出発はたしか三日後だった。本格的な山登りなんてはじめてだし、いきなり富士山かよ!   と一瞬思ったけれど、今こそ富士山だと思い直した。

 

誘われた日の翌日はタイミングよく休みだったから、登山道具を一式揃えることもできた。店員さんに、「どこに登るんですか?」と聞かれて、「富士山なんです。登山、はじめてなんですけど」と楽しそうに言ってる自分がおかしかった。好きな人に会うために京都に出てきたのに、富士山に登るために10万円も払ってリュック、帽子、靴、ウェア、靴下、ライトなんかを選んでる。おかしなテンションで選んだカラフルな服たちは、後から写真で見るとかなりアンバランスだった。

 

それは外国人と行くツアーで、大阪から富士山の五合目までバスで行った。道中、互いに自己紹介をした。たまたま横にいた身長が2メートルくらいのナチュラルに金髪の男の人と、私たちはいっしょに寝ることになった。六合目で仮眠をとるベッドは三人一組だったから、二人組みの私たちと一人で参加していた彼がちょうどいい組み合わせだった。

 

彼を真ん中にして、川の字で寝た。ベッドはもちろん2メートル用には作られてなくて、彼の足は思いっきり通路にはみ出していた。私は湿ったふとんと横で眠るでかい男の人が気になってよく眠れなかったけど、彼も後輩もよく眠れたみたいでびっくりした。

 

3時に起きて暗闇の中を歩き出す。店員さんに勧められたベッドライトが役立った。高山病で倒れる人を横目に、出番を待っている携帯用の酸素を気休め程度に吸った。眠れていないはずなのに、驚くほど体調は良かった。代わりに、よく寝たはずの後輩が歩きながら寝てしまって、私のリュックに頭をぶつけてきた。「危ないよ、ここから落ちたら誰も見つけられないよ」と言おうとして、振り返ったら、そこに星があった。

 

ほぼ明かりのない場所で星を見るのも、星の高さまで歩いてきたのもはじめてだった。先導の人が、「ここでちょっと休憩しましょう」と星空タイムをくれた。吸い込まれそうで、このまま夜が明けなくてもいいんじゃないかと思った。

 

あの日に見た星は、もう二度と見ることはできなくて、好きな人にもたぶん二度と会えない。だけど、もうそれでもよかった。やれるところまでやった。そんな気がしていた。

 

富士山に登ってから5年目の夏がきた。私は今、別の人と別の山に向かっている。車を運転するのは旦那さんで、隣には10ヶ月の娘がいる。車でも山登りができると彼が探してくれたのは、関西で一番高い伊吹山。山頂はとても涼しいらしい。9合目で車を降りる。そこに見えたのは、富士山で見た景色……じゃないのに、なぜか同じ気持ちになった。時刻は14時。時間も場所もぜんぜん違うのに、フシギだ。

 

なぜなんだろう。違うところにいるのに、同じ気持ちになる。あ、あの雲のせいだ。標高1300メートルの山頂に雲が流れている。目線と同じ高さ。あの時と同じ。手を伸ばせば触れそう。

 

そう、手を伸ばせば届きそうなところに、決して触れないものがある。その感覚が懐かしい。もしかしたら、触れるのかもしれない。あとちょっと登ったら。あの角を曲がれば。もしかして。もしかして。娘を置いてでも駆け出してみたくなる。

 

富士山の星も、伊吹山の雲も、もしかして……?   と私に思わせる。下界にいたらぜったいにムリだと思えることも、「だって、そこにあるやん。もうすぐやん」て言いたくなる。

 

富士山の星は、富士山でしか味わえないと思っていたけれど、そうじゃなかった。きっとこの感覚はどこでだって味わえる。できる限り、近くまで行ってみればいい。ギリギリのところまで、どんな手段を使っても。手が届きそうになくても、届きそうな距離まで行ってみたら何か変わるかもしれない。

 

私は変わった。手を伸ばそうとするかどうか。それだけ。富士山に登らなくても、美しい景色に感動している自分がうれしかった。日本で一番じゃなくっても、幸せはもうこの手につかんでいる気がした。

 

風が吹いた。「わぁ、つめたぁーい!   気持ちいいね」と旦那さんに言う。娘の手が抱っこひもをぎゅっとつかんだ。

 

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伊吹山ドライブウェイ