まいにちワンダーランド

~過去をはき出し光に変える毒出しエッセイ~森中あみ

やっと開放されたと思ったのが間違いでした。社会で生きぬくことを思い知らされた日


「ダメ!」ハイハイする娘の前に立ちはだかり、にらみつける男の子。言葉がわからない娘は、きょとんと見上げるだけで動こうとしない。私は「ごめんね!」と言って、さっと娘を抱き上げた。

 

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ここはイオンモールの子ども遊びスペース。抱き上げた娘の下には、丸くかたどられたクッションのようなものがあって、それが飛び石のよう八つくらい並んでいる。

 

歩ける子どもたちは、ぴょんぴょん飛んで遊ぶ。ハイハイまでの子どもたちは、その丸をめがけて一目散に進んでいく。横から足が飛んでくるなんてわかっていない。もちろん、ジャマするつもりもない。だけど、せっかく遊んでいたのに道をさえぎられた男の子は怒って、娘をにらみつけて「ダメ!」と言った。


にらまれた本人は何もわかっていないのに、その一部始終を見ていた私がなぜか、ものすごく傷ついた。そんなに言わなくてもいいやん! まだ赤ちゃんなんやから! 男の子にそういってやりたい気持ちを抑えながら、あぁ、こういうことか……と思った。ここは子どもスペースなんかじゃない。社会だ。

 

自分よりも年上の人たちが、共有スペースを我が物顔で占領していて、何もわからず飛び込んだ新人に「こら! ルールを無視するな!」と怒る。10ヶ月の育休で忘れていたけれど、職場でよくある光景だった。


家で二人きりで過ごしていれば、こんなこともない。だけど、ずっと二人きりの世界に娘を閉じ込めておくこともできない。秋に生まれた娘。冬を越せば、春になればと外の世界に出るのを先送りにしてきたけれど、もう夏になってしまった。


外の世界がおっくうなのは、もうひとつ理由があった。「寝返りは?」「歯は生えた?」「9キロ? 大きいね」自分の子の成長を、他人のモノサシで早い遅い、大きい小さいなどと簡単に判断されるのがイヤだった。

 

男の子の「ダメ!」は、「お前の育て方がダメ!」と言われたみたいで、10分たっても消えることはなかった。娘をにらみつけた、あの目が忘れられない。こんなことなら、ここに来るのはやめよう。やっぱり歩けるようになってからにしよう。娘が動き回らないように腰を持ったまま座らせ、走る子どもたちをぼーっと眺めていた。


すると、ピンクのワンピースを着たショートカットの女の子が近づいてきた。娘が私にしがみついてきた。ぎゅっと抱きしめる。「……赤ちゃん?」娘をじっと見て言うその子に「赤ちゃんだよ」と答えると、右手をそっと出して娘の頭を優しくなで、「かわいい」と言った。

 

涙が出そうだった。娘も怖がっていなかった。女の子のほうに向きなおさせると、娘の目線までしゃがんで、その小さい手で顔を隠し、「いない、いない、ばぁ」とした。娘がにこっと笑った。「何才?」女の子が私に聞く。親指と人差し指で丸を作り、「ゼロ才だよ、ゼロ」と言うと、「そうかぁ、ゼロ才かぁ。ミウはね、三才」と答える。「三才かぁ、もうお姉さんだね」


子どもと話してる感じじゃなかった。フツーの会話ができた。それだけでうれしかった。優しいお姉さんが孤独な新人たちを助けてくれた。こんな社会なら、もう少しがんばれそう。そう思ったのもつかの間、ミウちゃんが「遊ぼう」と投げてくれたボールを女の子がさっと奪い取った。

 

ミウちゃんは、あ!と言って、女の子を指差し、私のほうを見た。え! 私に助けを求めている? ボールを取った女の子を見つめていると、女の子はボールを投げ返し逃げていった。あー、よかった。ほっとしていると、小さいうちわが落ちているのに気づいた。さっきの子が落としていったものだ。それをミウちゃんが拾う。


「わーん!」離れたところから大きな泣き声。走り去った女の子が、お母さんにしがみついて泣いている。うちわを取られたと母親に泣きついているようだ。どうしよう。傍から見たら、ミウちゃんは私の子だった。私は必死でミウちゃんに、「それ誰の?」と聞く。「落としていったの」と答えるミウちゃんにすかさず、「あの子のじゃない?」と指差す。かしこいミウちゃんは、走ってうちわを返しに行く。だけど、女の子は受け取らない。母親も困り顔。

 

しばらく様子を見守っていたが、どうやらうちわのせいで泣いてるようではなさそうだ。私はミウちゃんに、もう戻っておいでと言いたかったが、10メートルくらい離れている。しかも、私の子ではない。


するとそこへ、さっきよりも大きな声で泣き叫ぶ声。母親に抱きかかえられながら、ジタバタする女の子。「あんたが悪い! あやまりなさい!」どうやら、うちわは関係なく、その二人のけんかだったようだ。ごめん、ミウちゃん、もう戻っておいで。娘と静かに遊ぼうよ。念じたけれど届かず、そのうち娘がぐずりだした。何度かあやしたけれどダメで、仕方なくベビーカーに乗せていると、ミウちゃんが滑り台のほうに走っていくのが見えた。私たちのことはもう忘れているようで、悲しかった。後ろ髪を引かれながら、私は家に帰った。


二人きりの静かなリビングに戻っても、私の興奮は消えていなかった。たった20分くらいのことだったのに、私は社会の荒波にまた戻ってきたことを思い知らされた。何でも独り占めしたい男の子、みんなに優しくできるミウちゃん、親に怒られても謝らない女の子。人間関係のど真ん中にいた。とても疲れた。36年生きてきて、だいぶラクになったと思っていたのに、娘とまたゼロからのスタートなんだ。

 

だけど、めげてる場合じゃない、そして勘違いしてもいけない。これは私ではなく、娘の人生だ。一緒にがんばろう。乗り越えよう。生きている限り、社会からは逃れられないと思い知らされた日だった。まずはミウちゃんと友達になりたいな。仲間を作らなければ。

 

やっと開放されたと思ったのが、間違いでした。社会で生き抜くことを思い知らされた日 | 天狼院書店

ありのままの自分なんて、いない。そろそろ、目を覚まそうと思う。



「……完璧主義なんですよね」

 

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テレビを見ていて固まった。もっと優しい言葉を待っていたのに。相談した本人も、「あ、そうかも……」と納得しようとしていたけれど、目が笑っていなかった。

テレビで、最近結婚したモデルさんがスピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんに悩み相談をしていた。幸せそうで、なんの悩みもないように見えるのに、「人前で自然体でいられない」との相談。それに対して、3秒くらい間をおいて、ばっさりとあの答え。

ばっさり過ぎて、すぐには意味がわからなかった。だけど、なんのオブラートにも包まれていない「本当」を言われたのはわかった。もうそれ以上言わないでくれ。キズをえぐらないでくれ。たった15分の番組なのに、閻魔さまの前に正座させられてる感じだった。逃げたいのに、テレビの前から動けなかった。

4日前から、娘を連れて実家に帰ってきている。5年前まで30年近く住みついた実家。ひさしぶりにトイレに入ってもなんの違和感もない。すべての家事を放り投げられる実家に帰るのはたのしみで仕方がなかったのだけど、ひとつ気がかりなことがあった。

 

それは、実家の雰囲気に飲まれること。京都で夫と娘と過ごしているときは、コーチングを受けたり、ライティングの勉強をしたり、わりとアクティブな気持ちでいられるのに、実家にいると、すべてがおっくうになる。そんなにがんばらなくてもいいんじゃない? ゆっくりしなよ。ありがたい言葉なのに、それに甘えてしまうと世間からおいてきぼりになる気がする。自分だけ進化してないみたいな。

それが実家のよさなのかもしれないけれど、京都にいるときのわたしと、福岡の実家に帰ってきたときのわたしが分裂してるようで怖い。それが、「自然体でいられない」という悩みと同じだった。言いかえれば、どっちが本当のわたし? ありのままでいたいのに、わからない! というような。

占いやスピリチュアルな話は、昔からだいすきで、こーゆー悩みにはいつも、その人にしかわからないトラウマがあって、それを優しくひもといていくことで、最後には泣きながら、「素直になります」なんて、共感できるしめくくりのはずだった。

だけど、今回はまったくちがう。「おまえの完璧主義がいけなんだ!」と一刀両断。それが本当の答えであるのは、自分が一番わかった。

 

言葉にするのはむずかしいけれど、わたしなりに解釈してみるとこんな感じ。自然体とはつまり、どんなときも同じ状態の自分。誰が目の前にいても、まわりがどんな状況であっても。でも、よく考えたらそんなことありえない。まわりの状況にあわせて、臨機応変に変えていけるのが大人の対応。ありのままでいいのは赤ちゃんだけ。

自然体でいたいのは、言いかえればワガママ。自分が気持ちよくいたいだけ。ほんとうは相手に合わせるなんて、めんどくさい。すばらしい(と思っている)自分をいつだって受け入れてほしい。だけど、そうして嫌われるのがこわいから、周りに合わせる。そのひとつひとつの言動が、その場にぴったりだったのか、すばらしい自分を演じられたのか、常に気にしている。完璧を目指している。だから、ほんとうの自分じゃない気がして、自然体でいられないという悩みになる。

 

「完璧主義なんですよね」をもっと突き刺さるように言い換えると、「完璧な自分を目指すなんて、バカげた主義をやめれば、そんな悩みなんて消えるよね?」となる。

そのモデルさんは、はたから見ればモデルとしての地位も築いているし、好感度も低くないし、上々でしょ、と思える人。それなのに完璧主義がゆえに、もっと自分をよく見せようとして人生に満足できてないんだとしたら、めちゃくちゃもったいない。美貌もスタイルも、幸せな生活も手に入れているのに、いつも「ほんとうのわたしじゃない」て思いながら生きるのって……。

自分におきかえれば、京都でも福岡でも、わたしを受け入れて自由にさせてくれる場所があるのに、「どっちが本当のわたし?」だなんて、本当にバカだ。どっちもお前なんだよ! うだうだ言ってないで、たのしく生きろよ! やっと納得できる答えが見つかった気がした。

ありのままの姿みせるのよ
ありのままの自分になるの

こんな歌、流行りましたよね。当時は、「やっぱりね!」と主人公のようにいつの日か生まれ変わる自分をイメージしては、現実に不満をいうだけだった。だけど、ありのままの自分なんて、いない。今、ここにいるわたしがすべて。ありのままを目指し続ける限り、ほんとうのわたしを探し続ける限り、人生の時間をムダにしていくだけ。そんなのもったいない。

少しも寒くないのは、まわりを見ていないだけかもしれない。そろそろ、目を覚まそうと思う。



ありのままの自分なんて、ない。そろそろ目を覚まそうと思う。《ふるさとグランプリ》 | 天狼院書店

見えない未来は、びりびりの本から作られる

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「あ! なにこれ!」


仕事から帰ってきた夫の目の前にあったのは、ぼろぼろになった私の文庫本だった。モノを大切にする夫には、信じられない光景……であることはわかっていた。だからあえて私はすぐ目に付くカウンターキッチンの上にそれを置いていた。予想どおりの反応に、予定どおりの答えをかえす。


「うん、ともちんがすきでね、それ」


もうすぐ9ヶ月になる娘のともちん。近ごろ、私が手に持っているものが大好き。ともちんを横にころがせて、自分もベッドに横になって好きな本を読んで、眠たくなってきたらいっしょに昼寝をするのが至福のとき。だけど、最近のともちんは自分のおもちゃよりも、わたしが手に持っている本に向かって必死でおおいかぶさってくるようになった。

 

はじめのうちは、ダメよと言って見えないところにしまっていたが、今日は、それがかわいそうになって、表紙だけを渡してみたところ、ハイエナのように飛びつき、むしゃむしゃかぶりついた。一瞬、あーぁと思ったけれど、中身さえ読めればよかったから、しめしめと思い直してつづきを読んだ。

 


いよいよ表紙の端が切れそうになった頃、ともちんからそれを取り上げた。きょとんとしていたけれど、獲物に少しでもありつけたことで、満足そうにも見えた。そして、次はこれだ! と本に飛びかかってきた。

 

表紙がぼろぼろになったことで、何かがふっきれていた私は、読みかけのページにしおりをはさむこともせず、まるごと渡してみた。むしゃむしゃ。抵抗する気もない文庫本は、付けたくないところに折り目がつけられ、端のほうはよだれでしわしわになった。むざんな姿になったわたしの本。でも、心はなぜか爽快だった。部屋の窓は閉めていたのに、風が吹いた気がした。遊び疲れた娘と私は、そのあと2時間爆睡した。

 


夫は本当にものを大事にする人。もともと私は本の表紙は読むのにジャマだから、買ってまもなく無くしてしまう派だった。夫は「もったいない。いつか古本屋に売るかもしれない」といって、帯まで取っておく派。表紙のない本を見つけるたびに、「あー、またない」と言われるのがイヤで取っておくようになった。だけど、古本屋に売るつもりのない本を帯までつけてキレイにキレイにとっておく必要はないと心の中で思っていた。

 


大事にするってなに? 

 

びりびりになった文庫本をみて、私の中でひとつの疑問がわいた。娘は本を大事にしていないわけじゃない。ただ、興味があるだけ。はじめてみるもの。光にあたると光る表紙。赤ちゃんが単純に、「なに、それ!」と手を伸ばしたものを、大人の「大事」で取り上げてしまうとどうなるのだろう。娘は、あたらしいものへの反応は何一つ得られず、もう遊び方のわかってしまったおもちゃで同じように遊ぶしかない。娘の成長は一つもない代わりに、大人は一冊の本を大事に本棚にしまう。

 

本と娘、どっちが大事なの? そんなバカらしい質問はだれもしてくれないから、自分でするしかない。もちろん娘に決まっている。それなのに私はついさっきまで、これから限りない可能性を秘めた子の興味を、たった600円かそこらの文庫本を守るために奪おうとした。


「すごいねぇ、ぼくにはそんなことできないわ」


無残な姿になった本を見て、夫が言った。そう、そう言って欲しかった。私はすごいことをした。本を手に取ったときの娘の目の輝き、体の動き。あれはぜったいに今しかないし、大人の勝手でなくしてしまってはぜったいにいけないもの。夫がモノを大事にするのと同じくらい、私は娘がやりたいことを大事にしたい。


「ともちんには好きなことをして生きて欲しいなぁ」娘が生まれてから、夫がこれまで5回は口にしていたと思う。それなら、と思う。興味のある本くらい、びりびりにさせてやろうよ、たいしたことないって。「好きなことをして生きて欲しい」子どもにそう願うのは私も同じ。それなら、まずは自分がそう生きようよ。本がびりびりになることを恐れてるくらいじゃ、何も進まない。

 

「あれダメ、これダメ」を子どもに言うたびに、自分の可能性を小さくしている気がする。子どもといっしょに飛び立とうよ。好きなことしようよ。本なんて、表紙も、帯もいらない。中身だって、読んでしまえば、心の中にある。目に見えるもので安心する生き方よりも、見えない未来を大切にしようよ。わたしは夫にそう言いたかったのだと気づいた。娘のはじめての獲物になった文庫本には申し訳ないけれど、もしかするとあなたは自らその役を買って出てくれたのかもしれませんね。


その本の名は、アルケミスト ~夢を旅した少年~

 

見えない未来は、びりびりの本から作られる | 天狼院書店

乳首が透けても、そこはパリコレのランウェイ

どんなに仲のいい友達でも、ひた隠しにしていることがある。それは、わたしは家の中で着替えないということ。

 

パジャマと部屋着の区別がない。生まれたときからあたりまえで、パジャマという単語も知っていたけれど、朝起きたらパジャマを部屋着に着替えるなんて、父も母もしていなかったから、そんなもんだと思っていた。だけど、中学2年のころ、友達の家に女7、8人で泊まりにいくことがあった。パジャマを持っていなかったわたしに、母がこれにしなさいと渡してくれたのは、ものすごい派手な花柄のスウェットで、「なにそれ!」と大笑いされたのを覚えている。

 

そんなことがあっても、わたしはへこたれず、暑すぎる日は弟か父がはき古したトランクスをパンツ替わりにはくなんて、やばいことをやっていた。それは家の中だけでの話しだから別にいいと思っていたし、さすがに宅急便がきたときに、トランクスで玄関をあけるなんてことはなかった。なによりラクだった。毎日洗濯すれば、清潔だし、わざわざ人が見ていないところで、せっせと着替えるめんどくささよりも、ラクさをとるのがうちの家だった。

 

他にも、締め付けたりするものはとにかくキライで、ヒールをはくのは結婚式くらい。ブラジャーも家に帰ったらすぐにはずしていたし、胸の形がわからない洋服なら付けない日もあった。いけないのは、なんとなくわかっていたけれど、それで人間関係に支障がでることもなかったし、なんせラク。ラクを捨ててまで、流儀にこだわるつもりもなかった。

 

けれど、わたしが結婚した相手は冗談半分で「皇太子のように育ちました」と言っても、本当に聞こえるほど、流儀やルールを大切にする人だった。夏には夏用のパジャマ、冬用、春秋用なんてものまで持っていた。おふろあがりは、お互いTシャツ、短パンと似たような格好をしているのに、寝るときになると夫は、いつ着替えたのか上下おそろいのパジャマでボタンも上から下まできれいにとめて、ふとんに入る。

 

わたしにパジャマを強要する人ではなかったけれど、なんか自分がだらしない人のように思える夜もあり、イオンをぶらついていたときに、たまたま下着屋さんで見つけたセールのパジャマっぽいのを買ってみたけれど、それを上下おそろいで着た日は数日しかなく、上はいつものTシャツで、下は勢いで買ってみたパジャマ風のものと、結局なにも変わらない格好に落ち着いてしまうのだった。

 

別にそれでケンカすることもないし、かわいいパジャマとかへの憧れはあるけれど、もう私はその領域にいくことはないと思っていた。夫もそれでいいはずだし。

 

それでも私はひとつだけ気になっていた。それはTシャツからいつも乳首が透けて見えていることだった。そこの恥じらいを本当にどうでもいいと思ってしまったら、もう夫婦はおしまいな気がする。でもTシャツ一枚だとどうしても透けるし、冬でも油断すると形が浮き出ていた。

 

夜用のブラジャーも買ってみたけれど、締め付け感がイヤでボツになった。パジャマはめんどくさいといいながら、ちゃんとした感じも捨て切れていないのだ。いつも一緒にいる相手が毎晩、きれいに着替えているのを見ているから。けれど、長年の習慣は捨てられない。かといって、皇太子さまのように育てられた夫に、乳首スケスケのスタイルを認めてくださいと正面気って言えるほどではない。

 

乳首は空気のように、ないものとしていつもそこにあった。結婚してすぐの頃は、ツッコミ合っていたけれど、もう話題にもならないほどあきれられているのかもと思っていた。

 

昨晩、夫が歯磨きをしながら「なんかそれ、パリコレみたいやね」と言った。「え?」「乳首、透けてる」2秒の沈黙。「あー! いいね、それ! めっちゃいいたとえやん!」わたしは高揚していた。わたしの乳首を一番認めてほしいけれど、一番認めてくれそうになかった夫が、あの皇太子もどきの夫が、わたしの乳首をパリコレだと言った! 

 

「そうやね! それでいいね! これからはパリコレのつもりでおれば、いいね! もうブラジャーもいらんね!」ここぞとばかりに、自分のズボラ度を認めてもらおうとたたみかけた。「いや、ブラジャーは……。ファッションだから。ブラジャーの形があるとファッションにならんやろ」夫はそこはちがうと一生懸命、説明しようとした。

 

「え……。じゃあ、やっぱりブラジャーはつけて欲しいってことなんや」「だって、あみちゃんのおっぱいが新喜劇みたいに垂れたらイヤやもん。こんな風に」おばあちゃんの乳首が腰のあたりまで垂れている新喜劇のネタを、手でマネた。

 

わかった、と残念そうに言いながら、わたしはほっとしていた。あぁ、夫はわたしをまだ女として見てくれていたんだ。よし、わかりました。家の中の乳首はパリコレっぽく、堂々とさせていただきます。そして、外ではあなたの妻であることを忘れずにブラジャーを着けていきたいと思います。わたしのズボラ度をちょうどいいところで、受け入れてくれてありがとう。

 

乳首が透けても、そこはパリコレのランウェイ《ふるさとグランプリ》 | 天狼院書店

 

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不器用すぎる父を許した日

書くって、人の心を動かせる。

なぜなら、心を書くから。

 

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旦那さんに勧められて応募した、父の日エピソード。知らぬ間に発表されていて、ハイボールグラスが届いて、あわてて喜んだ。

 

キライなはずのフェイスブックフェイスブックなんて死んでしまえ。 - 天狼院書店で、みんなに自慢したら、尊敬する人からコメントをもらえて、がんばること、それが報われることは人を喜ばせるんだと思った。なぜか、その尊敬する人からありがとうございますとお礼まで言われた。

 

書くって、なんだ?   とベストセラー作家にでもなった気分でもんもんとしていたが、わたしは自分のことしか書けない。それはつまり、心の話。どんな景色で、どんなタイミングで、どんな人といっしょにいて、何を思ったか。

 

特別だと思われてる人、特別だと思われたい人はいっぱいいるけれど、特別な人ってほんとうはいないんじゃないかとおもう。だから、わたしの心の話が入選した。「自分とおんなじだ」と思った人がたくさんいるから。

 

自分の話を書いてくれてありがとう。心を代弁してくれてありがとう。そんなありがとうだったら、うれしい。

 

この入選を機に、書くってなんぞやなんて、たいそうな大義名分は捨てよう。心を書く。きっと単純で、きっと気持ちがよくて、あわよくば誰かを救えるように。

 

 

【不器用すぎる父を許した日】

 

父と面と向かって話した記憶はない。

 

本当は話したい。だけど「女の子と話すのが苦手なんよ」とリビングからこそこそ出て行く父をフォローする母にさみしさを見透かされているようで、納得したフリをしていた。

 

大事な報告はいつも母経由で、本社に異動のときも、いつ知らされたのかもわからないまま、引っ越しの準備が進んでいった。

 

出発の日、母と始発の新幹線に乗るため博多駅まで送ってもらった。駅前のロータリーで「じゃあね」と別れた。それだけだった。新幹線のドアがむなしく閉まる。

 

通路側に座った私に母が「お父さん、見るって言っとったよ」と言った。え……。父の職場の屋上から、新幹線が見える。低いビルや家がたくさんあるから、見つけられないかもと身を乗り出した。

 

いた。まだスピードの出ていない小さな窓から見えたのは、しっかりとこちらを見つめ、ひとり立つスーツ姿の父だった。離れているはずなのに、ずっと大きく見えた。涙がとまらなくて、大好きなサンドイッチもしばらく食べられなかった。

 

お父さん、あなたはどうしてそんなに不器用なの。おかしいね。でも、もういい。ありがとう。お父さんに愛されてるってこと、わかってたから。

 

 

「父へのメッセージ 2017」入選作品発表!|シングルモルトウイスキー山崎|サントリー

 

 

ナスのはさみ揚げって、丸いですか? 長いですか?

「何か食べたいものある?」と旦那さんに聞き始めてから、約1ヶ月。

 

「ナスのはさみ揚げ」ときた。

 

たいてい、わたしの食べたくないものがくるのは承知のうえで聞いている。だから、わかったと言うしかない。料理好きのプライドが、作れない(作りたくない)とは言わない。

 

「どんなの?」と聞くと、ナスに縦に切り込みを入れて、その中に肉を詰めるのだと。ほぉ。料理に関しては、旦那さんよりも信用しているクックパッドさんによると、ナスを輪切りにして、その間に肉を詰めると。ほほぉ。それでいいんじゃない?   勝手に決めた。

 

「はい、どうぞ!」

 

やっぱり違ったらしい。

 

 

半月後。旦那さんの実家に遊びに行く前は、お義母さんから晩ごはんのリクエストを聞かれる。

 

2人で話し合い、「ナスのはさみ揚げ」にした。旦那さんはウキウキ。やっとホンモノが食べられると。

 

「はい、どうぞ!」

 

わたしが作ったものと同じ形だぞ?

 

「昔と違うやん。縦に切ってあったやろ」すかさず、ツッコミを入れる旦那さん。

 

「あぁ、そうやったね!   でもあれじゃあ、肉があんまり入らないんよ」

 

 

 

 

 

 

勝利!!!

 

 

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亡くなった人が降りてきているとおもうのは、おこがましいですか

失礼ながら、彼女の訃報により彼女を知った。彼女を慕う作家さんが投稿していたのを見たからだ。「そんな人がいたんだ」と、その時は軽く思っただけだった。

 

去年の11月。ちょうど私は出産後1ヶ月で精神的にも体力的にもブルーの真っ只中だった。人の話どころではなく、流れていく情報のひとつに過ぎなかった。ただ、その作家さんが旅行先で訃報を知り、チェックアウトの時間なのに崩れるようにホテルの部屋に座り込み、東京に戻ってくる電車の中で、「雨宮さんなら、この気持ちをうまく表現できるのに」と悔しがっていたことだけは、ずっと引っかかっていた。

不眠症なんて自分には関係ないと思っていたのに、夜中に娘のぐずぐずで何度も起き、昼まで爆睡を繰り返していたら、睡眠ペースが乱れてきた。3時になっても目はギラギラ。ぎゅっとつむってみても、頭の中はぐるぐる。こんなときは、あれだけ娘にダメだと言っているスマホを開くしかない。

 

芸能人のネットニュースを見ても、なんだかむなしい。かといって、ツイッターも疲れる。やっと寝入った娘の寝息を確かめながら、ぼーっと天井を見ていると、あのときの記憶がよみがえってきた。「こんなとき、雨宮さんなら気持ちをうまく表現できるのに」

 

検索画面に、名前を入れる。苗字だけで上から4つ目に名前が出てきた。クリックすると、画像とともに「AVライター」の文字。なにそれ。いきなり引き込まれる。スクロールしていくと、死亡の原因についてあれこれ書かれているものがたくさんあった。一通り目を通してみたけれど、どれも似たようなことが書いてあった。結局、公表されていないから誰も真相はわからない。

 

読んだ後、モヤモヤがもっと大きくなっていて、意味のない井戸端会議をしたようで後味が悪かった。それよりも、真実に近いものが欲しい。真っ暗な部屋でスマホの明かりだけが光る。眠れずにモンモンとして、ただ暇つぶしを求めているだけなのに、真実を探そうとするなんてとおかしくなるけれど、彼女はもう亡くなっているのだから、井戸端会議に反論もしないのだから、せめてテキトーな気持ちは少しでもなくしたほうがいいと勝手に正義ぶっていた。

「40歳がくる!」それは彼女が亡くなる直前まで書いていたWEB連載のタイトルだった。連載が始まったのは、亡くなる年の5月。11月になくなった彼女。そのときいくつだったのだろう。見ていた画面を逆戻りし、プロフィールを見る。1976年9月26日生まれ。どきんと心臓がなった。私と同じ誕生日だった。4つ年上。ということは、彼女は40歳で亡くなったのだった。画面を見たまま固まる。

 

誕生日が一緒だった人に会ったのは、生まれて2度目だ。1人目は中学の同級生で、顔までそっくりだったからお互いはずかしいのと嫌な気持ちで、どう接したらいいのかわからなかった。そして2人目。なんだろう。この感じ。誕生日が同じ人なんて確率的にはよくあることらしい。だけど、福岡出身。そこまで同じ? もう止まらなかった。彼女のストーカーになった。ツイッター、インスタグラム、ブログをすべてフォローした。もう更新されることはないのに。まだどきどきする。

それから毎晩、彼女のWEB連載を1記事ずつ読むのが習慣になっていった。眠れない日も眠れる日も毎晩読んだ。ちょうどライティング講座に通い始めたばかりで、書くこととはなんぞや! と悩んでいた私にとって、毎日の心の葛藤を日常のできごとにからめ、さいごはちゃんとオチをつけてサラサラっと書いてある読みものにふれているだけで、自分もそんな人になれた気がした。

 

生きづらそうな日々をこんな風に文字にして、吐き出せるってすばらしい。「この気持ちをうまく表現できるのに」と悔しそうにしていた作家さんの気持ちがわかった気がした。



どんどんのめりこんでいった。福岡で進学校に通い、東京の大学にいくところまで私とそっくりだった。名前が二文字でひらがななのも、勝手に似たものの一つに数えた。本も買った。作家さんが悔しがっていたのは、これだったのかと本当の意味でわかった。心をえぐるような「本当」がそこに書いてあった。

 

悲しいとか、さみしいとか、書いていない。だけど、タクシーの窓にふりかかる雨、恋人の家までコートの中に抱えて持っていったドンペリが他の女にも振舞われていたと知った話は、まるで東京の街で、彼女になったかのような錯覚になり、酔ったような気分で眠りにつけた。彼女を生きている私がいた。どうして彼女は亡くなったのだろう。はじめから決めていたのだろうか。考えても、もうわからない。



わたしは今、彼女のような文章が書きたいと思う。ここまでさらけ出さなくても、と思うほどさらけ出しているカッコいいものが書きたい。「書くことなんて、いくらでも出てきますよ」と誰かに言っているのを読んだ。生きていれば、書くことなんていくらでもある。わたしにはそう聞こえた。でも彼女は亡くなった。もう書けない。

 

勝手で、とてもおこがましいけれど、勝手に同じ誕生日に後から生まれた者のよしみで、あなたを目指させてください。あなたにはなれないけれど、生きている限り、自分が自分になるために書くような気が、今、はじめてしています。

 

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亡くなった人が心に降りてきていると思うのはおこがましいですか?《ふるさとグランプリ》 | 天狼院書店