お金がなくても幸せだ、は賭けられるものを見つけた人だけが言える言葉。
昨日、晩ごはんを食べながら主人とニュースを見ていました。その中で、あえてつつましい生活をしている人が特集されていました。
社会的に地位があり、国民からも評価されて、対価をもらう権利があるのに、あえてそれを放棄。まわりと同じ生活をする、お金を多くもっていても仕方がないと。
日本にもその情報が伝わり、インタビューを受けた子どもまでもが「お金じゃなくてもできることを見つけたい」と言ってました。
わたしはそれに違和感を感じました。主人もそれをじっと見ていて何も言いませんでした。
お金がなければ生きていけない。それは事実です。そのために働いている。まずはそれを認めた上で、「じぶんにできることは何だろう」と考えるべきなんじゃないかと。
お金は、社会からの評価です。つまり、周りから求められないものはお金にならず、生きていけない。芸術家で、周りに認められなくって価値観を貫いて、後から評価された人もいます。
けれど、それは「あえて」であって、最初からお金じゃない、と声高に主張するのは、ただの理想論。ホントの意味で「お金じゃない」は、子どもや学生、わたしもまだわかってないんじゃないかと。
つまり、「お金がなくても幸せだ」は、お金じゃなくても賭けられるものを見つけた人だけが言える特別な言葉。と、ちょっとまじめに朝、思うのでした。