まいにちワンダーランド

~過去をはき出し光に変える毒出しエッセイ~森中あみ

年賀状に子どもの写真なんてゼッタイにいや! だった私の末路。

独身のころから、結婚して数年経っても年賀状やSNSならアイコンに子どもを載せる人を軽蔑していた。

「自分の名前で出す年賀状に、子どもだけの写真なんて、頭おかしい! 私はゼッタイにそんなことしない!」と福岡の居酒屋でおなじく独身の友人に息巻いていた自分のことは、年賀状の季節になるとこれからも思い出すんだろう。

ごめんなさい、の気持ちとともに。

今年の森中家の年賀状はこれです。



ほんま、ごめんなさい……。

誰にあやまっとんねん!

子どもしか載せる写真がないっていうのも、どうかと思いますが、今はほんとにそうなんです。生活のリズムも、頭の中も。

「そして、バトンは渡された」の一節に、「愛する対象があるのは幸せなこと」とあります。そうなんだろうな。

一人目の長女を産んだとき、「もう、この痛みは二度と経験したくない」と思った。それなのに、また子どもを作った。神さまは願いを聞いてくれて、陣痛ではなく帝王切開の痛みを経験させてくれるみたい。(帝王切開は痛くないと思っていた私からもごめんなさいと言っておこう。誰にや)

明日、次女がこの世に誕生します。

こんなにも準備万端の出産って、あるんだなあと感動しています。産科の先生はもちろん、助産師さん、看護師さん、麻酔科の先生、脳外科の先生、家族も含め、こんなにも娘の出産に関わって、心配して、サポートしてくれて、囲まれて出産するなんて。

人間に産まれたワケは「経験するため」だ。としみじみ感じている。「経膣分娩も、帝王切開もどっちも経験できるなんて」と夫に言ったら、「よくそんなにポジティブに考えられるね」と返ってきたが、本当にそう思う。これから、どっちも経験した人の立場になって発言できるって、ありがたい。

子どもの写真を年賀状にする人の気持ちも、子どもができたから私は認められた。

私の人生のテーマ(目標)は、誰のことも否定しない、もちろん自分も、なので、そのためにこれからもたくさん経験していきます。

運良く、2021年は運気最高潮らしいので、気持ちを出すこともめんどくさがらず、私なりのやり方で生きて、書いていこうと思います。

新年の抱負とあした出産のご報告。