あなたの物語を書かせてください。

「人生を本にしたい」

 はじめて会ったバイト学生に夢を語っていた。

 

時刻は朝の7時。私と彼が今やっていることは、受験生に部屋探しのパンフレットを渡すこと。9時から始まる試験のために、2時間前からここに立っている。名古屋駅から歩いて5分ほどの大きなビル。その入り口に学生と30過ぎの女。怪しいけれど、誰も気にとめない。

 

2月は受験シーズンのピークで、寒さも同じようにピーク。サラリーマンも、おばちゃんも、学生もポケットに手を突っ込んで、背中を丸めて歩く。早く建物の中に入りたいんだよね。私たちはずっと外。気を紛らわせたくて、適当にした話なんかじゃなかった。もうすぐ大学を卒業するという彼が、とりあえず就職するんじゃなくて、その前にサンフランシスコの機械か何かを学びに留学すると言ったから。まさに「将来の夢」を語ったから。

 

私も負けたくないと思った。この話を聞いて終わるだけじゃ恥ずかしいと思った。女として? 大人として? よくわからないプライドが、よくわからないけど毎日、毎日思い続けていることを語り始める。

 

「こうやって目の前を通り過ぎる受験生もさ、ここにくるまでに、いろんなことがあったはずなんよね。本人は親がウザイとか、受験なんてめんどくさいとか、はやく忘れたいことなんだと思うけど、私からすれば、それってぜんぶドラマ。人生って、みんなドラマみたいな話ばっかりやと思うんよ。親に怒られたことだってさ、後からぜったいにありがとうって言う日がくるし。どうでもよかったはずの話を、捨てずに拾って物語にしたい」

 

けっこう長めに語ってしまった。うざがられてもいいと思った。というよりとまらなかった。それなのに彼は、その日はじめて私のほうを見て、「それ、めっちゃいいじゃないですか! 結婚式とかにも使えそうですね!」とキラキラした目で言った。

 

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約1年半前にたった一度だけ会った、あの彼は今頃どうしているだろう。もう留学から帰ってきて、やりたいこと見つけたかな。時給のいい早朝バイトに来ただけなのに、いきなりオバチャンの夢を聞かされたことなんて、もう忘れているよね。

 

でも私はずっと忘れない。負けまいと思って、勢いで語った夢をもっと膨らませてくれた。あの時、あなたに話してよかった。あなただったから話したんだろうね。彼が言った「結婚式」は、まさに人生の節目。親もきょうだいも、おじいちゃんも、おばあちゃんも涙がとまらない。うれしいはずなのに、こんなにも泣けるものなのか。

 

後悔も、ごめんねも、やり残したことも意味があったと思える。たくさんの思いがあふれる中、たったひとつにスポットを当ててみたい。そこから広がる家族の物語。そして、今日の一日もまた過去になる。あなたのこれまでとこれからを書きたい。なんてことない一日も、書きとめておけばもう二度とこない特別な日になる。なんてことない人生なんて、ないし。ぜったいに。

 

 

わたしにあなたの物語を書かせてください。

 

 

 

 

 

 

富士山なんて登らなくても、一番になれるんだから

逃げ帰ったようなもんだった。周りから見れば、東京に残らずに実家のある福岡に就職先を見つけただけ。だけど、私の気持ちは違った。もうここからでることはないんだろうな、と思った。親に干渉されずに一人で生きたいと思って飛び出したのに、一人で生きることの淋しさだけを覚えた東京だった。

 

淋しさをうめる時間は、思った以上に長くかかった。どんなに親に甘えても足りなくて、もう私は一人では生きられない人間なんだと諦めかけていた。だけど、どうしても好きな人ができたとき、また一人で外に出てみたくなった。逃げ帰ってきてから10年が経っていた。京都に転勤願いを出した。

 

3ヶ月後、思いもよらないところにいた。日本で一番高いところ。もう一度一人でやってみようとは思ったけれど、富士山に登るつもりはなかった。本当にそんなつもりはなかったのに、そこで見た星がずっと忘れられなくなった。目線と同じ高さにある星。その後、山頂で見たギラギラの太陽よりも、手の届きそうなところにあった星の方が、今も私を静かに感動させる。

 

縁とはフシギなもので、京都で与えられた社宅の下の階に住んでいたアクティブな後輩が、富士山に誘ってくれた。三連休の台湾旅行がキャンセルになって、どう過ごそうかと思っていたところで、出発はたしか三日後だった。本格的な山登りなんてはじめてだし、いきなり富士山かよ!   と一瞬思ったけれど、今こそ富士山だと思い直した。

 

誘われた日の翌日はタイミングよく休みだったから、登山道具を一式揃えることもできた。店員さんに、「どこに登るんですか?」と聞かれて、「富士山なんです。登山、はじめてなんですけど」と楽しそうに言ってる自分がおかしかった。好きな人に会うために京都に出てきたのに、富士山に登るために10万円も払ってリュック、帽子、靴、ウェア、靴下、ライトなんかを選んでる。おかしなテンションで選んだカラフルな服たちは、後から写真で見るとかなりアンバランスだった。

 

それは外国人と行くツアーで、大阪から富士山の五合目までバスで行った。道中、互いに自己紹介をした。たまたま横にいた身長が2メートルくらいのナチュラルに金髪の男の人と、私たちはいっしょに寝ることになった。六合目で仮眠をとるベッドは三人一組だったから、二人組みの私たちと一人で参加していた彼がちょうどいい組み合わせだった。

 

彼を真ん中にして、川の字で寝た。ベッドはもちろん2メートル用には作られてなくて、彼の足は思いっきり通路にはみ出していた。私は湿ったふとんと横で眠るでかい男の人が気になってよく眠れなかったけど、彼も後輩もよく眠れたみたいでびっくりした。

 

3時に起きて暗闇の中を歩き出す。店員さんに勧められたベッドライトが役立った。高山病で倒れる人を横目に、出番を待っている携帯用の酸素を気休め程度に吸った。眠れていないはずなのに、驚くほど体調は良かった。代わりに、よく寝たはずの後輩が歩きながら寝てしまって、私のリュックに頭をぶつけてきた。「危ないよ、ここから落ちたら誰も見つけられないよ」と言おうとして、振り返ったら、そこに星があった。

 

ほぼ明かりのない場所で星を見るのも、星の高さまで歩いてきたのもはじめてだった。先導の人が、「ここでちょっと休憩しましょう」と星空タイムをくれた。吸い込まれそうで、このまま夜が明けなくてもいいんじゃないかと思った。

 

あの日に見た星は、もう二度と見ることはできなくて、好きな人にもたぶん二度と会えない。だけど、もうそれでもよかった。やれるところまでやった。そんな気がしていた。

 

富士山に登ってから5年目の夏がきた。私は今、別の人と別の山に向かっている。車を運転するのは旦那さんで、隣には10ヶ月の娘がいる。車でも山登りができると彼が探してくれたのは、関西で一番高い伊吹山。山頂はとても涼しいらしい。9合目で車を降りる。そこに見えたのは、富士山で見た景色……じゃないのに、なぜか同じ気持ちになった。時刻は14時。時間も場所もぜんぜん違うのに、フシギだ。

 

なぜなんだろう。違うところにいるのに、同じ気持ちになる。あ、あの雲のせいだ。標高1300メートルの山頂に雲が流れている。目線と同じ高さ。あの時と同じ。手を伸ばせば触れそう。

 

そう、手を伸ばせば届きそうなところに、決して触れないものがある。その感覚が懐かしい。もしかしたら、触れるのかもしれない。あとちょっと登ったら。あの角を曲がれば。もしかして。もしかして。娘を置いてでも駆け出してみたくなる。

 

富士山の星も、伊吹山の雲も、もしかして……?   と私に思わせる。下界にいたらぜったいにムリだと思えることも、「だって、そこにあるやん。もうすぐやん」て言いたくなる。

 

富士山の星は、富士山でしか味わえないと思っていたけれど、そうじゃなかった。きっとこの感覚はどこでだって味わえる。できる限り、近くまで行ってみればいい。ギリギリのところまで、どんな手段を使っても。手が届きそうになくても、届きそうな距離まで行ってみたら何か変わるかもしれない。

 

私は変わった。手を伸ばそうとするかどうか。それだけ。富士山に登らなくても、美しい景色に感動している自分がうれしかった。日本で一番じゃなくっても、幸せはもうこの手につかんでいる気がした。

 

風が吹いた。「わぁ、つめたぁーい!   気持ちいいね」と旦那さんに言う。娘の手が抱っこひもをぎゅっとつかんだ。

 

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伊吹山ドライブウェイ

 

 

 

方程式なんて大キライな私が、人生の答えを方程式で出してみた

占いが好きすぎる。

細木数子にもハマったし、鬼谷算命学はバイブル本。今は絶賛、しいたけ占いに助けられている。

 

高2のとき、迷わず文系コースを選んだのは数学が苦手なのが理由だったけど、今思えば、方程式で答えを出すよりも、国語や占いみたいによくわからないけど、なんとなく「そんな気がする」答えがすきだからなんだろう。

 

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夫は正反対の理系男子で、マニュアルとか物の位置とか、答えは一つしかない。たった今も、冷蔵庫に半年も放置されている沖縄みやげのラフテーの答えは、「いつか、ふたりで食べる」だったのに、「急に酒のつまみが欲しくなって、食べちゃった!」という私の答えは、あり得なさすぎて、目に涙をためている。

 

私はとにかく決められた答えが大キライだ。「今はこう」であるものは、「わたし風」に変えたい。だけど、そのわたし風を、人にはっきり説明できるほど分析できているわけでもなく、とりあえず、今のままじゃダメな気がする。それくらいだ。それでいい。私にはわかっているから。

 

だから、占いは私の気持ちのように説明がつかないものを、「今週の天秤座はこうです!」とか「今のあなたはこうするといいです!」と、私の代わりに代弁してくれるから好きだ。他にも、たとえばテレビを見ていて、「わたし風」にぴったりな女優さんを見つけると釘付けになる。この世に実在する人間が、私の生きたいように生きている。そうして今度は、「あの人みたいになりたい」と占いと同じくらい、彼女を崇拝するようになる。

 

これは一歩まちがえば宗教である。そんな、いつも定まらなくて、危うい気持ちを持っている私が今ハマっているものは、定められた文字数で、定められた方程式に当てはめて書くことだ。なんとも変な話。

 

もうすぐ深夜1時だというのに、ビール片手にこれを書いている。缶ビールの横には、ストップウォッチ。なるべく手をとめずに勢いで書くほうが良いから。

 

4ヶ月かけてライティングゼミに通った。通信で月2回の講義と毎週2000字の自由課題。最初の一ヶ月半くらいは、内容は理解しているつもりなのに課題で落ちまくった。落とされる理由が理解できなくて、落ち込んだ。

 

どうやら採点者は、私の文章が方程式に当てはまるかどうか見ているようだった。方程式にハマれば、いつだって読む人を楽しませるものが書けるらしい。つまり、方程式にハマらない、おまえの文章はつまらないと。

 

なんだ、それ。そもそも書くなんて、自己流でいいじゃない。それこそ、わたし風を見せつけるときだ。方程式から答えが出せるなんて思えない。けれど、せっかくの授業料がもったいないから、やれるだけやろうと決めた。試行錯誤を2ヶ月くらいやっていたら、ふっとOKがもらえるようになった。どうやらハマってきたようだ。

 

汚いところ、弱さをさらけ出したら、なんだかいいみたい。うん、まぁ気持ちいいじゃん。フシギだ。書けば書くほど、方程式は私の中に染みついた。もう私の中にあるのがわかる。2ヶ月前の私には戻れない。短い間に、そんなところまで来てしまった気がする。

 

方程式を覚えるのも悪くないと思った。なぜなら、一度覚えてしまえばずっと使えるし、良いものなら自分だけじゃなくて、他の人にも使える。

 

これまで、ただなんとなく「変えたい」「なんか違う」「伝わらない」と思っていたことも、はじめて覚えた「書く方程式」を使えば、毎回答えが出る。そして、伝わる。人生はすべて、こうやって方程式に当てはめられるものなのかもしれない。そういえば占いだって、統計学だ。

 

なんだか、今なら、わたし、超難関な数式も解けそうな気がする。

 

 

それは何度でも、目の前にやってくる。

 

書く人になりたいとはじめて思ったのは、たしか大学三年生の頃だった。

 

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就職先も決まっていなくて、自分がなりたいものも自信を持って言えない。当時、一番おなじ時間を過ごしていた友達が半年ぶりくらいにうちに泊まりに来たとき、ひとり言のように、「小説家にでもなろうかなぁ」と言ってみた。背中越しにその声を聞いた友達は、すぐにふり返って、「いいんじゃない!」と答えてくれた。たぶん本気で。

 

うれしかった。私たちは商学部で、小説なんてぜんぜん関係なかった。本すら、読んでいなかったと思う。それくらいとっぴょうしもなくても、ふと思いついただけのことだったのに、それをいいと言ってくれる人がいた。

わたしは、それだけで満足して、そこから先を考えようとはしなかった。考えてもわからなかった。どうやったら小説家になれるかなんて。ただ、書けばいいだけだったのに。

 

あの日からずいぶんと時間が経った。地元の福岡で唯一採用してくれた会社に就職して10年だった。私の就活は、やりたいこともハッキリさせず、企業分析も何もしなかったから、面接では思いつきでそれらしいことを言った。それでも雇ってくれた会社に感謝していた。働いてみたら、とても居心地がいいし、仕事も悪くない。人間関係だって上々。長く働くほど、その気持ちは増した。これでよかったのかも。まちがってなかったのかも。

結婚もした。子どもが産まれて、この子が大きくなって、夫と年をとって、それなりの人生が待っている。道はもう見えた。もうがんばらなくていい。なりたいものがなくたって大丈夫。自分は何者かなんて悩まなくてもいい。それがうれしかった。

 

そのはずだったのに、今、わたしは悩んでいる。

 

「書く人になりたい」

 

3年前、夫のススメで友達を作るために通ったライティング講座にハマッた。小説家になりたい夢なんて忘れていたけれど、なんとなくいいかもと思ったのがライティングだったのは、きっと心のどこかが反応したから。今まで、タバコの煙みたいに口からなんとなく吐き出されては、すぐに消えていった言葉を文字にする。はじめて自分の目で見てみると、なんだかしっくりくる。うとましがられるはずの煙が、文字にすると受け入れられる。どんどん出てくる。気持ちいい。時には、芳しい香りみたいに相手をつつむ。喜んだり、涙ぐんでもらえることもある。こんな快感、はじめてだ。

 

伝えるためには、スキルが必要なんだと教わった。先生はそのスキルを持って、仕事をしていた。かっこいい。私もなりたい。だけど、仕事を辞めたら収入が減る。子どももできたんだし、リスクをとるなんて無謀だよね。そもそも、就職みたいに誰かにやれって言われたワケじゃない。私がそれをやらなくても誰も困らない。10年前のあの日みたいに、やらない言い訳ならありったけ思いつく。

 

やらなくてもいい。でも、やりたいかもしれない。そのハザマでモヤモヤしていた。そんな私を知った先生が、ライター交流会に誘ってくれた。お前なんて、まだまだだよ。何ネボけたこと言ってんだ? そう言われるのがこわくて、直前までモジモジしていたけれど、行ってみた。

 

4人のライターさんがいて、参加者も60人くらいいた。少し遅れたわたしは、一番後ろの席にこっそり座った。マジメなのを想像していたけれど、飲み物ラインナップにお酒が入っているようなノリの良い人たちだった。「おもしろい人が、おもしろい記事を書くんだなぁ」とハイボールの缶を空けながら思った。

 

約1時間を過ぎ、盛り上がりのピークにきたころ一人のライターさんが言った。「紙は制限があるから、おもしろい。ここまでに収めなければいけない。さて、どうしよう。そこから文章が洗練されていく」

 

制限があるからいい。

 

わたしの夢までの制限なら、いくらだってある。それを言い訳にして、辞めることもできる。でも、このライターさんが言うように、もし今のわたしの夢が本の編集だったら? 締め切りがあって、待ってる人がいたら? どんな制限だろうと、できる限りの知恵を絞って、本にするはず。しなきゃいけない。

 

書きたい夢があるなら。どんな制限があっても、一冊の本を書きあげるつもりでやってみよう。ここを削って、改行はここで、うまくつなげて、句読点は読みやすいか考えて……。そうすれば、できあがりは想像しなかったほど洗練されてる。いつかは人生にも終わり(制限)がくる。そのときまでやり続ければいい。今すぐとか、半年後とか、あせらなくていい。私の人生はまだ終わってない。

 

きっとこの夢は、わたしの人生が終わるまで、何度も何度も、こうやって私の目の前に現れる。その時何度も、言い訳して逃げる? ぜったい、またくるよ? 何度でも。あー、こわくなってきた。だけど、夢に向かって進んでいれば、こわくない。いつか終わり(制限)がくる、そのときまで、逃げずにがんばろう。やっとそう思えた。 

 

神戸 #ライター交流会 vol.01 〜関西人魂が世の中を面白くする! | Peatix

 

 

今週のお題「ちょっとコワい話」

あなたみたいな人になりたい。うっかり送信メールが夢に変わるまで。

 

出会いは偶然だった。暇つぶしに見ていたフェイスブックのタイムラインに出てきた。

 

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たしか、「働く女性を応援します」とか、そんなメッセージだった。仕事の休憩中で、ぼんやり、たぶんだるそうにスマホを見ていた。大学時代の友達から話があると持ちかけられていて、めんどくさいけど返事しないとなと思っていた。返事をするのがイヤだったからなのか、本当にピンときたのか、スクロールする親指がとまった。このまま流してはいけない気がした。数秒後には、はじめて見たその人にメッセージを送ろうとしていた。「はじめまして。メッセージを見てピンと……」いやいや、やめよう。勢いでやることじゃない。キャンセルボタンを押すつもりが、送信。あ……。


 
ごめんなさい。間違えて……の途中で、「はじめまして! ありがとうございます!」と返事がきてしまった。だけど、なんだかホッとした。送りたかったんだと思う。この人と話がしたかったんだと思う。そんな軽い動機をこの人は受け入れてくれた。これが、私とコーチとの出会いだった。


 
それから2ヵ月後、大阪の梅田で会うことになった。当時の私は会社を辞めたいと、毎日そればかり考えていた。理由は、あの人がイヤだ、この人がむかつく、誰も私を認めてくれないと人のせいにして。何でも聞いてくれるというコーチに、ぶちまけようと意気込んでいた。しかも、私のように長く働いて、役職をもらえているようなキャリアのある女性を応援したいと言っていたし。


 
平日に京都から大阪に行くなんて、久しぶりだった。約束は夕方だったけれど、少し早めに家を出た。ホームで電車を待っている間、何気なく見た線路がずっと先まで続いていて、この先に何かが待っているようなワクワク感もあった。数年前にできたばかりの大阪グランフロントの7階が待ち合わせ場所だった。エスカレーターで上がるにつれて人が少なくなってきて、会議に使われるようなところだろうな、とちょっと緊張してきた。


 
指定されたお店に着いた。だけど、閉まっている。するとメッセージがきた。「ごめんなさい! 今日はお店が貸切みたいで! 今どこにいますか? 私はもう着いてます!」え? 私も5分前から着いてるんですけど。きょろきょろ見回すと、向こうからそれらしき人が笑顔で小走りしてくる。写真よりも話しやすそうだった。せっかく選んだお店に入れないなんていうハプニングがあったおかげで、緊張もどこかに消えていた。


 
「ごめんなさいね。どうしよう。この下にカフェがあるんだけど、そこでもいいですか?」ゆっくり話せなさそうだけど、他にお店も知らないから仕方ない。言われるままに着いていく。通されたのは二人がけのテーブルが並んでいる真ん中のあたり。両サイドに人もいる。大丈夫かな。あまり人には聞かれたくないことなんだけど。不安の中、飲み物を注文する。


 
軽く自己紹介のあと、「じゃあ、さっそく始めましょう」はじめてのコーチングが始まった。私はため込んでいた思いを迷いなく話した。「会社がイヤなんです」「そうかぁ、でも、もし会社をやめる以外にもできることがあったとして、そこから考えていきましょうか」え、話したいことと違うんだけど。結局、辞めるのを止められるのか。働く女性を応援するとか言って、結局、後悔させたくないんだよね。


 
「まず、人間関係から整理していきましょう。ここにあみさんの職場があります」A4の真っ白な紙がテーブルの上に置かれる。「思いつく限り、職場の人を置いていってください」今度はふせんとペンが出てくる。職場の配置を説明するの? なんなんだろ。「まずは私がここにいて……」「うんうん」「上司がここにいます。後輩が二人いて、あとちょっと離れたところに人がいて……」「うんうん、この離れた人はどんな感じ?」「どんな感じって……当たり障りのない人です」「うん、わかった。続けましょう」
 


いったい何をしているのかわからない。だけど、名前を書いていると、いろんなエピソードが思い出される。あの時わたし、めっちゃ悔しかったんだよね。でも、後輩がわかってくれたから持ちこたえられた。でも、この人だけは許せない。ひどい。本当はできる人なのに、人の気持ちをわかろうとしない。職場の配置図がほぼできあがりかけた頃、私が一番ネックになっている人の名前を書いた。会社を辞めたい一番の理由。それを話し出すと熱くなってくる。隣で夕食っぽいものを食べている女子たちが、こっちをチラ見してくるけど、どうしても聞いて欲しいから、もう気にしない。


 
気づけば、1時間が経っていた。「できましたね。お疲れさま。さて、もう終盤ですよ。核心に近づいてきています」え、なにが? 「さぁ、あみさん、今作ったものを、くるっとまわしてみてください」「え、こうですか?」私を中心にたくさんの人の名前が書かれた紙を180度、回してみた。すると、一番手前にきたのは、一番ネックのあの人だった。「あみさん、ちょっと考えてみてください。この人から見て、職場やあみさんは、どう見えていますか?」あ……。「めっちゃ離れてる」「そうですね。この人は、どう思っていると思いますか?」「……もっと近づいて欲しい。本音を言って欲しい」なんだか力が抜けた。「そうかもしれませんね。あみさんの感じたようにやってみると何か変わるかもしれませんね」


 
次の日、離れたところにいる、あの人に目をやると、疲れているように見えた。そして、一人ぼっちでさみしそうだった。権力がある人は、何でも好き放題やれていいよな、と思っていたけれど、誰も自分に意見してこないって、たまに不安なのかもしれない。言いたい放題言う人なんだから、こっちも言ってやろう。そう思うと気がラクになった。「もう少しだけ、やってみようかな。それから、また考えよう」コーチから教えられたわけじゃない。自分で出した結論だった。


 
あれから2年。あの結論に後悔はない。もし勢いで辞めていたら、ムカムカは残ったままだった。コーチは私に、アドバイスじゃなくて、自分から逃げないための気持ちをくれた。どうすれば後悔なく、前向きに、私らしく生きられるのか。100%カンペキな人なんていない。わかっているのに求めてしまう。がんばりすぎて、すぐに疲れる私に、今も月に一度、元気をくれる。ネガティブな時があったっていい。どうしてそう思ったの? どうなりたいの?


 
「誰かの人生の道を太くする、きっかけになりたい」今日の私は、力強くそう言った。「いいですね! それ」ありがとう、コーチ。今、気づきました。私の選択肢を広げ、人生の道を太くしてくれたのは、ぜったいにあなたです。あなたみたいに、誰かの可能性を一途に応援できる人になりたいんです、私。見ててください。もうすぐなります。そのとき、あなたの人生の道も太く感じてもらえたら、うれしいな。

 

あなたみたいな人になりたい。うっかり送信メールが夢に変わるまで。《ふるさとグランプリ》 | 天狼院書店


 

がめつく生きろってなんだよ。20年前の先生に言いたいことがある。


「がめつくなれよ、もっと」

 

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はぁ? しかなかった。三者面談で目の前にいる担任の先生の言葉。隣に座っている母も黙っているので、同じ気持ちだろうとチラッと見やると、なんと泣いていた。家に帰ってからも母は、「あの先生だけよ、あんたのこと、わかっとるのは」とまたウルウルしていた。意味がわからない。

「がめつくなれ」とは、標準語風に言えば「積極的に」の意味。もっと汚く言えば、「人を蹴落とすぐらいの気持ちでいけ」学区内で最難関の高校を目指すなら、それくらいの気持ちでいけ、と先生からの激励だった。

 

心を打ち抜かれたのは母だけ。そう言われても、私的には努力しているし、野心だって隠しているだけでけっこうある。敵意をむき出しにするのはかっこ悪いし、能ある鷹は爪を隠すっていうやん。もっと欲望をむき出しにしろとか言われても、高校受験のために生き方のスタンスを変えろってか。

 

モンモンとしている私をよそに、母はすっきり顔。自分の代わりに先生が言ってくれたから大丈夫。そう思っているみたいだった。こっちは全然、納得してないんだよ。いったい、何がいけないのさ、ふん。

学校の先生にそんなことを言われたのは、これが二度目。最初は小学校の卒業式。約30人のクラスで順番に先生から呼ばれて、色紙に書かれた、生徒にぴったりの言葉をもらう。愛とか誠とか、かっこいい言葉をもらってうれしそうに戻ってくる友達を見て、ワクワクしていた。

 

男子と本気で取っ組み合いのケンカをする学校一の熱血先生で、生徒にこびないところが好きだった。やっと名前を呼ばれて前に出る。だけど、そこに書かれていたのは、「自発」の二文字だった。は? なんじゃそれ? もっとカッコいいのないの? 私、けっこう努力するし、成績も悪くないし、クラスのみんなと仲良くできる。もっと他にあるでしょ、ほら、なんていうか……。

「お前はナニもらった?」「オレはこれ!」先生からもらった言葉はゼッケンの背番号みたいで、自分の代名詞のようにみんなうれしそうに話している。だけど、私はその輪の中に入れない。

 

自発? なにそれ? これが私の代名詞? どういう意味? 自分で発する? 何を? バカと書かれた紙を背中に貼られているくらい、はずかしかった。友達の言葉は、その人となりを表しているのに、私のは明らかにお前にはこれが足りないと言われていた。なんで、なんで私だけ。

いったい何なの、先生たちは。私の何を見ているの? 自発。がめつくなれ。どうすればいいの? 人の気持ちなんて無視して、やりたいようにやれってこと? 答えのないまま20年近くが過ぎた。そして、もうそんなことなんて忘れていた。

娘が昼寝をしている間は、撮り溜めているビデオの時間。たまたま付けたのは、職業も性格も違う女子二人が、一週間だけ香港に住んでみるという番組だった。

 

冒頭から胸がぞわっとした。二人で住む部屋、行きたいところ、食べたいもの、撮りたい写真をどんどん言って、どんどん実現していく人と、「特にこだわりないから」と言って流れていくだけの人。テレビなんだし、楽しい! かわいい! おいしい! というのは当たり前で、二人とも満喫しているように見えるのに、決定的に違うことがあった。やりたいことを発言して、自分で実行していく人と、その流れに乗っかっるだけの人。

これまでの私は、誰かが作った波に乗っかって楽しそうに泳いでいるだけの人生だった。だけど、乗りたい波に向かって走ったり、波すらも自分で作る人に猛烈に惹かれた。それこそ、「がめつく」生きていた。傍から見ていて、そっちのほうがゼッタイ楽しそうだった。

先生も私をそんな風に見ていた? もっと自分の気持ちを外に出せ。外に出すことは相手を押し込めることじゃない。自分の人生、限りある時間をどう使うか、自分で舵を取ってごらん。舵を取るのは「こうなりたい」っていう夢があるから。「こうしたほうがいいのかな」じゃなくて、「こうなる」それさえあれば、もっと楽しくなるよ。お前にはそれができる。先生はそう言ってたのか……。

舵を取るのが怖かった。人の思うように生きないと自分には何もないから、とりあえずめちゃくちゃ努力して、人の望むように、はみださない程度にやればいい。そうすれば、傷つかないから。傷つきたくない。私、ずっとそう思ってた。だから、気持ちを隠してきた。だけど、傷つかないように生きても何も楽しくない。楽しく生きていない人を見ると、なんか悲しくなる。これじゃ、ダメだよなって思う。私、もしかしたら、そんな人だったのかも。なんか、めっちゃくやしい。

人生にがめつくなれ。楽しむことにがめつくなれ。先生、やっとわかったかもしれない。私、見つけたかもしれない。今、こうやって書いているのは、自分で発するってことですよね? どこかで見ててくださいよ! 遅くなったけど、今からゼッタイがめつく生きてやるから!


がめつく生きろってなんだよ。20年前の先生に言いたいことがある《ふるさとグランプリ》 | 天狼院書店

娘よ、年齢に自由であれ、選択に幸せであれ!

 

特別お題「『選択』と『年齢』」

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理想の30歳は、母だった。

 

結婚して、専業主婦になって、子どもが二人くらいいて、それなりの生活をしている。ほわーんとではあるが、日曜日の朝に母が焼いてくれた、ふわふわのパンケーキのように甘くて、やわらかくて、幸せな感じ。

 

きっと、どうやったって、そうなるだろうと思ってた。だけど、現実の30歳はまったく違ってた。まず、結婚していない。予定もない。だから、専業主婦でもないし、子どももいない。その代わり、仕事には部下がいて、満足いくテリトリーは任せてもらえるようになった。実家暮らしだから、お金もある。旅行だって行ける。

 

さて、あの頃、一緒に旅をする彼氏はいただろうか。あぁ、いなかった。1年前くらいに別れた。3年くらいダラダラ付き合って、もうやめたほうがいいんだろうなとはじめて思って別れた。家に帰ったり、帰らなかったりを繰り返していたのに、何も言わなかった父に、別れたときだけ報告した。母がそうしなさいと言ったから。

 

30歳までもうすぐの娘が泣きながら、男と別れた報告をするなんて、今思っても、父はどんな気持ちだっただろうとむなしくなる。父がひと言だけ言ったのは、「相手がよりを戻したいと言っても許さない」と。それはきっと、「お前、ここまでしたんだから、もう振り返るなよ」とわたしへのメッセージだったのだろう。結局、相手から戻りたいなんてことはひと言もなく、私が想うほど、相手は想っていなかったんだと、その時はじめて気づくのだった。

 

母が30歳のときは、もう私も弟もいて、その2年後に妹が生まれる。「あの頃のことは覚えていない、毎日、無我夢中だった」と母は幸せそうに言う。大学生になる頃はまだ私も、母と同じように学生のときに彼氏ができて、そのまま結婚するんだろうなと夢を見ていた。まさか彼氏すらできず、30歳になっても男とうまく別れることすらできない女になっているなんて、想像もしなかったし、なりたくもなかった。なのに、そうなっちゃってる。

 

いったい何がいけないの? まじめに生きてきて、人を好きになっただけなのに、どうしてこんなに、むなしくならなきゃいけないの? 幸せのパンケーキを切望しているくせに、そこにたどり着くまでの道を探そうとはしなかった。まあ、いつか何かのタイミングでやってくるだろう。ちょっと道に迷っているだけ。パンケーキに足がついていて、私を探すのに手間どっている。泣いた3日後には、そんな風に思っていた。

 

それから後、これで決める! と思える人を友達に紹介してもらったけれど半年でダメになり、父よりも年上の相手とお見合い話がきたりした。お見合いの後、三件目の誘いを断り、帰る夜道が真っ暗で、「なにやってんだろ、私」と未来さえ、真っ暗になった。

 

30歳になれば、なんとなく思い描く幸せが待っているはずだったのに、それは母がたどってきた道のただの回想シーンで、私の道はまったく別にあった。最初から全然ちがうところを歩いていて、ゴールも違うのかもしれない。やっとそう思えた。そして私は家を出た。32歳だった。

 

ぼんやり見えていたはずの道は、はじめからなかった。どこに行くかわからないけれど、今、自分が立っている場所から新しく道を作ってみたら、思った以上に楽しくやれた。そこから1年でパンケーキ屋にたどり着いた。本当なら、母と同じ23歳でたどり着くはずだったゴール。結婚はゴールじゃないって友達に言われたけれど、私にとってはゴールだった。母のゴールではない、自分のゴールを決められたことが本当にうれしかった。

 

母とおなじ23歳で結婚のつもりが、32歳になった。

母とおなじ24歳で出産のつもりが、36歳になった。

 

それでも私は後悔してない。半分以上、強がりで、後悔したってどうにもならないから、そう言ってるだけ。だけど、今、横で寝ている0歳の娘が30歳になるまでに、ひとつだけはっきり教えられることがある。30年後はAIとか、地球環境とか、ものすごく変わっているんだろうけど、結婚、出産のような女性の悩みはそんなに変わってない気がする。なぜなら、一番身近にいる女性のお母さんがお手本になるから。お母さんと同じくらい幸せに、お母さんと同じような道を、逆にお母さんみたいにならないようにと、お母さん基準で考えてしまうから。

 

だけど、それは違う。けっこう回り道して、泣いて、傷つけて、はずかしくて、親に迷惑かけてからわかったことは、幸せになるのはお母さんじゃなくて、私だったってこと。私が幸せになったら、お母さんも幸せだったってこと。「お母さんのこと、大好きなのはすごくうれしいけど、どの道を選んでゴールにたどり着くかは、自分で決めていいんだよ。お母さんの年なんて気にしなくていいんだよ」娘には、これだけを伝えたいなぁと、パンケーキの味もまだ知らないわが子の横で思うのでした。

 

 

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#年齢ってなんだろう

#期限なんてない

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