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2月20日を境に、
毎朝通っているスタバから別のスタバに変えた。
なぜと聞かれたら、
直感、としか答はなく、
いつもの電車に乗って、
いつもの出口を出たら、
正面のビルの二階にあのロゴが見えて、
「ここに行け」が降ってきた。
直感に従うのはむしろ好きな方で、
気に入った化粧品や洋服があると
直感がいいに決まってる! と
理由のない直感を理由にしてにこやかにレジへ行く私なのだけど、
出勤前の5分を使ってわざわざ遠回りするなんて、とめずらしく直感に理由を付けてなかったことにしようとしたけれど、その朝の私の直感は後に引かなかった。
「わかったよ、ま、いっか」と歩くスピードを早めてビルの正面にある自動ドアを抜け、エスカレーターを上がり、スタバのレジに目を向けた先にある人が座っているのを見つけたとき、私は私の直感に言った。「そういうことね」
それならそうと、早く言ってくれたらよかったのに。
ある本に、直感は理由なき感覚ではなく、すべてを理解しながら進むには果てしなく時間がかかる情報の処理を脳が一瞬で行った結果だとあった。つまり、直感は膨大な計算の末に出た、これしかない、解なのだ。
だが、それを直感が私に説明して、私が理解するまでには時間がかかる。もしかしたら朝の5分を一年分、いやそれ以上か。たしか本には4億ビットの情報量とあって、それをググることすら億劫な私に、私の直感は説明するつもりもさらさらないのだろう。
直感は正しかった。あの朝を境に私を覆っていた硬い殻が破れていく。まず勇気を出して話しかけたら、私のことを覚えてくれていた。「また来てよ」を社交辞令とせず、翌日も訪れたら別の著名人に出会った。さらなる勇気を出して声をかけたら本人ではないと言われた。恥ずかしかったけれど、職場へ向かう道でスタバのタンブラーがカバンの中で踊っていた。
週明けの月曜は林真理子さんのサイン会を予約していた。指定時間の30分前に到着しておいてよかった。開始時間には私の後ろに50人以上が並んだ。最新刊と一緒にもらったメッセージカードに「野心」の言葉を添えた想いを書いた。夫からは何か質問しておいでと言われたけれど、写真はご遠慮くださいと聞いていたのでそんな時間もないだろうと諦めた。
5分おきに列が進む。林さんが座るテーブルが見えた。手土産を渡して軽くおしゃべりしている人がいた。それくらいなら大丈夫なのかもしれない。私は意を決して「あの、よかったらこのペンで何かかいてもらえませんか」1年前にはじめて買った万年筆を渡し、私の名前と林真理子さんのサインの間にちょうどよく空いているスペースにメッセージをお願いした。
林さんの両サイドに陣取る男性も黙って見ている。サラサラと万年筆が動く。
「野心のすすめ」
そう書かれた瞬間、私はまた思った。
「そういうことか」
直感は野心だ。
あれがしたい、
これが欲しい、
こうなりたい、
あぁなりたい、
ふと湧く感情に理由なんてほとんどない。愛する人を愛する理由がないのと同じで、欲望に理由なんてない。ただ、そうしたいから。
脳は4億ビットの情報を忙しく処理してくれているのかもしれないけれど、夫が働いているから、夫が優しいから、夫が寝る前に足を揉んでくれるからと愛にイチイチ理由が必要なら、この先少なくとも50年以上は連れ添うつもりなのに面倒くさすぎる。
理由が欲しいのは傷つきたくないから。
失敗したときに言い訳したいから。
欲望が湧いたとき、それがこれまで経験したことのない未知の道だったとき、動かなくていい正当な理由が欲しくなる。なぜ? どうして? 怖くて怖くて、聞いてしまう。
だけど、その問いの答えは決まっている。
それなら、やめよう。
人生がつまらない。
何も変わりばえしない。
なんとなく不満。
それらはすべて直感に言い訳して行動してこなかった結果、脳が最善の解を出すのをやめてしまい、わかりきった日常をやり過ごすことだけに最低限のエネルギーを注ぐモードに切り替わった人が持つ感情。
直感を信じよう。
怖いけれど。
野心を持とう。
それが生きる活力だから。
今朝は寝坊して、いつもの電車より一本遅いのに乗ったからスタバは諦めた。その代わり、直感で成城石井に寄って、最近スタバのお姉さんにオススメしてもらったアールグレイの茶葉を探した。意外とたくさんあって迷った。こんなときは値段に負けてしまう。一番高いものを持ってレジに並んだが、何か違和感を感じた。
もう一度、陳列棚を見上げたらピンとくるパッケージ。手に取るとイタリアの文字が見えた。やはり。職場についてさっそく包みを開けたら、ステキなロゴが飛び込んできた。
外側は英語表記で読めなかったけれど、イギリス王室御用達の紅茶メーカーだった。地元の人が選ぶおみやげ10選にも上がっていた。
1ヶ月前に夫と見た「ボヘミアンラプソディー」のQueenが浮かんだ。欲望、野心のかたまりに見えた主人公は、絶えず自信だけは失ってなかった。孤独に自分を見失っても、本気で自分を思う友人のアドバイスには直感のアンテナが動いた。
直感は怖い。
野心もできれば持ちたくない。
だって面倒くさいもん。
本気で生きるって大変だもん。
スリルがありすぎるもん。
でも、
もう戻れない。
2月20日の朝、私を呼んだあの声が言う。
「ね、楽しいでしょ」って。
怖いの先にあるもの。
それは笑い。
ジェットコースターだと思えばいい。
あー、楽しかったと言えるゴールは用意されてる。
そして階段を降りる頃、思う。
「また乗りたいな」
直感を信じよう。
人生を楽しみたいのなら。
諦めたのは、カテゴリ分けと私。
今、すごく快適。ほんとは写真も投稿したくないけれど、そこはなんとなく、ネット社会に順応するために必要なのかなぁって。がんばってみてる。
それでね、私ずっと、生きる指針みたいなものが欲しかった。カテゴリ分けみたいな、この記事はこれについて書く、とやる前からゴールが決まってるみたいに、じぶんの生き方の指針みたいなものをずっと探してきた。
高校生に入ってくらいからだから、20年以上も探している。なんてこった! それでいまだに見つからない。というか、すぐにぶれる。あの人がこう言うから、今は村上春樹さんの対談本を読んでいて、めちゃくちゃ感化されてる。これぞ、小説家の神髄だ(私もこんな風に生きなければ)といつものように真っ暗な部屋で娘を寝かしつけながら夫に話した。
なぜこんな話になったかというと、夫が車を買って、お金への感覚が変わってきて、ムダに使いたくないと思ったわけです。かしこく使いたいと。今まで、「なくなる不安で行動するからお金がなくなるんだ論」を信じていて、欲しいものはできるだけ、自分を満たす名目で買っていたけれど、結局、欲しいものもガマンしてコツコツやっていた夫のほうが数百万をかっこよく使えたわけです。ね。
概念変わりますよね。ね? だから、来月、東京に行きたい予定があったのだけど、ムダにしたくなくて、私どうしたらいいんだろう、どう考えたらいいんだろう。年が明ける前までは、行きたいって思ってたのに、年末に夫が車を買ってから行かなくてもいいんじゃないか(これはムダ使いではないか、私は東京に行かずに金を貯めて、もっと高いものを手に入れるべきじゃないか)と思ってしまって。
でも、やっぱり本心は行きたいから数日モヤモヤしていて。それをモヤモヤのまま、行く、やっぱり行かない、行きたくないなどと口に出したり、出さなかったりしていたのですが、結局行くことにしました。
夫がこう言ったからです。
「指針なんて、なくていいんだよ」と。
それが、私なんだと。
だから、臨機応変にいろんなことに対応していけるんだと。
そうだよね、20年以上考え続けて見つけられないんだから、いったん諦めよう。
それが、村上春樹さんの対談本にも書いてあった、地下二階にもぐったり、他人の評価をきにしないことだったり、文章を極めることだったりになるんじゃないかと。
自分を決めない。
自分の文章を型にはめない。
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これが新年の抱負です。ほんとうの。
今年もよろしくお願いします。
決まり切った挨拶はキライだった。
小学生の頃くらいからだろうか、なぜだかわからないけれど反発したくてしたくて、おじいちゃんちに行ったときなんか、正座して頭を床につけるくらい、あ、それって土下座か、みたいなことしないといけなかったから、ものすごくイヤだった。
校則も就業規則も理由もなく、制限されるものに対しては反発心を持っていた。
だけど、今はちがう。
結婚したら、土下座まがいは強要されないから、もっと挨拶した方がいいんじゃないの、自宅に帰ったらちゃんとお礼のメールを入れるくらいはしないとね、とやってたら、義理のお母さんから「あみさんは、ちゃんとしていてエライね」と言われていたそうだ。
そ、そうか。振り切れてたから、それを元に戻したら普通になりつつ、すこしだけいい感じになったってことか。あ、ありがとう、おじいちゃん。え、そうなっちゃうの。なんか、違う気がするし、もっと別のまとめ方をしたかったのだけど、私は結局、ちゃんとしたいのかしたくないのか、だけど、自分がちゃんとされないと気になるから、やっぱりちゃんとした方がいいんだろうな。
じゃあ、あの頃の反発心は何なんだろう。
ま、いいか、そこまで考えるのはもうやめにしたんだ。
地下にあるもの、それはたいがい宝だと思いたい。
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カリスマライター森中あみ
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2019年想ったこと、まとまらんけど、書き出してみた。
私は例年通り、がめ煮を作り、高島屋に好きなお寿司や漬物を買いに行き、おふろも済ませ、食卓に並べた食べかけのお節を横に書いています。
さて、となるわけですが、いろいろあったね、とまとめたいくらい、あっという間の一年でした。高島屋へ向かう車の中、MISIAのEverythingがラジオから流れてきて、私の記憶は8年前の恋愛へと誘われました。
隣で話す娘に相づちをうちながら、もっとあんな返しをしておけば、もっと素直に近くにいけば、と何度も何度もしたはずの後悔は、まとめれば私を嫌いにならないでという自己満足なんだろうなぁと納得しようとしていた。
満たされなかった想いをこうやって余裕を持って懐かしめるのは、カッコイイ車をカッコよく買ったばかりのカッコイイ夫がいるからだと、それはもう絶対にそうなのだった。
昨日、書けない私をなぐさめてくれたのは、娘が生まれてからも毎日毎日書き続けたブログだった。誰にも見てもらえない昔の自分は振り返りたくなかったけれど、めげずにコンスタントに続けていれば、こうやって自分を助けられるんだなぁと。
おととい、鈴虫寺に赤ちゃんをお願いしに行ったら、住職さんが「鈴虫はこんなに鳴き続けているのに邪魔にならない、これが美しさ」と言ってて、そうだなぁと思った。
あぁ、て布団に入るときにすぅーと自分に流れ込んでくるものを読みたいと思ったから、そんなものを書きたいと思った。
好きな人が言ってることは信用したいけど、それに振り回されたら友達じゃなくなるな、と思った。
不満を抱えながらこそこそやるんじゃなくて、私は今は与えられた職務と環境を思いっきり、いい意味で利用しようと思った。
私は人との距離感に関しては絶妙なバランス感覚があると自負してる。
こんな私がやっぱり大好きで、書けない日もあるけれど、やっぱりこうやって毎日描き続けたら、数年後に読み返すわたしがいるから、と思った。
みんな、ありがとう。直接言えないけれど、ありがとう。まだ死にたくないよ。神さま、私、わたしの設計図はどんな感じなの。教えて。もう、ウダウダ悩むのはイヤだよ。だから地下二階に潜ろうかな。お酒をお供に。
良いお年を……
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風のように切り抜けてるかい、天秤座の仲間たちよ。
「風のように切り抜ける」と、すごく調子が良いときなんだそう。天秤座は。しいたけさんの本で読みました。
2年前は、ふんそうか、きっとそうなんだろうと文字の意味を理解しただけだったけれど、今日はひっさしぶりにそれを体感して、気持ち良すぎて、風のように、帰りの電車の中でこれを書いている。15分後には、娘の幼稚園の最寄駅について、記事を推敲する時間はない。年賀状もまだ書けてないし。
風のように、とは言い換えれば、思いつきをすぐに行動にうつす、ということで、移さなければ、あぁでもない、こうでもないと考えすぎて、つまり私にとってそれはヒマだということでもあり、つまらないことに時間を費やしていることで、結局なにも起こらないか、行動にうつしてもタイミングがずれているので、イマイチ、まぁ楽しかったけれど、ね、で終わることになる。
大掃除がよかったのかもしれない。あとは、恥ずかしいけれど「なりたい状況や気分」を想像してみたら、それが他力で創造できたりしていて。
頭が少し痛いから、書き続けるムリはやめようと思うけれど、やっぱりこの勢いを書き留めておきたくて、今だからこそ。終わりに近づいているからこそ、そして、うまく進まないことがあっても自分を責めないでいたい。
風は時として、台風にもなり、夏のそよ風にもなるのだから。時として、感じ方が違うだけだから。次の風を待てばいいだけだから。
天秤座の仲間たちにささぐ。きっと、同じ想いがどこかにあるはずだから。
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タイトルなし、言い訳的、日記。
昨日はもともと更新する予定がなかったので、というのは、一昨日の夜、忘年会的な仕事の打ち上げがあり、帰ったのは2時。
娘はもちろん、夫と寝ていてくれて、ビールをどれくらい飲んだだろう、ジョッキ5杯くらいかな、たぶん。ウコンの力も借りていたけど、朝はしんどく、ポカリスエット、カリカリ梅、昼からグレープフルーツジュース、カレーうどんで徐々に回復。
クリスマスイブなのに夫の会話に受け答えする元気もなく、就寝。あー、こうやって書いているとなんてムダな時間の使い方なんだ、と感じるけれど、大きな収穫もあった。
「クリエイティブ・ディレクター」の肩書を名刺に付けていいよ! と。やりました。私のなりたい職業ランキング上位のやつです。飲んでいるけれど、いや、飲んでいるからこそ、「そう! ブランドは大事です!」と熱く語れたことだけは、夫に話した。
夫は「なんだそれ、ハイパーメディアクリエイターみたいやん」と笑っていたが、上司に「もっと活躍したい」とつぶやいた、私が引き寄せた現実。
で、思い出したけれど、ランチ後に口さみしくなってお菓子が食べたかったけれど、コンビニに行く元気もなく諦めてたら、ほどなく後輩が近づくきて、「これ、ともちゃんに」と食べかけのラムネをくれた。
なんと。おぉ、神よ。願望が現実になる。酔った勢いで、妄想し続ける遊びに、今日も。いってきます。
想像できないことは起こらなくていい。
未来はわからないから面白いという意見よりも、希望していた未来通りになるほうがめっちゃテンション上がる気がしている。
想像できないことは起こらなくていい。なりたい自分なんて、ありったけ想像できるから。もう何度も何度も夢見てて、それが本当になるのなら、今想像できていない未来はこなくていい。
子どもがあともう一人、できればあとひとり、合計3人いるのが私の想像の範囲だし、拠点はやっぱりハワイだし、いつも暖かくて、楽しいし、私の感性はみんなが注目するし、コーヒーは美味しいし、目につくものはメッセージだと思えるし、相変わらず数字のメッセージはすごいし、地下二階の住人たちと友達だし、誰かの愚痴も、一見マイナスに見えることもすべて仕組まれているのだと俯瞰できるし、お金? あ、そうか、あれのことね、と降りて行かないとわからない感覚になっているし、
そういえば、私はスーパーで野菜や魚やらを取るときに、いちおう気にしてはいるのだけど、たぶん、いいものじゃなくてすこし痛み始めたものを取っていると思う。
昨日、友人が手土産にする苺や自宅用の肉に目を近づけて見ているのを見て、いったい何を見ているのだろうと思った。主人もよくそうしていて、たいがい選ばれたものは美味しい。女が選んだりんごも美味しかった。
私が選ぶものは服とかは違うけれど、スーパーで選ぶものはなんかね。デパ地下は大丈夫。なんなんだろ、この感覚。面白いな、と思った。
スーパーで痛み気味を選ぶというより、向こうが自分を手に取って!と言ってくる。僕を、私を!という風にね。それを母親みたいな気持ちで、はいはい、仕方ないね、こっちにおいでみたいな感覚なんだよね。
私の未来は、意識的に選びたいのだけど、私には気づかれないように向こうから迫ってくる、良くないものも抗わずに受け入れたい。良くないものを受け入れたからといって、私がダメになることはなくて、相手はこちらにすごく感謝しているから、いつか助けられるのである。
持ちつ持たれつ、おにぎりコロコロ、ネズミの穴に落ちた日本昔話的なね。
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