まいにちワンダーランド

~過去をはき出し光に変える毒出しエッセイ~森中あみ

世界から天秤が消えたなら。


喜びと哀しみを天秤にかけたら、どっちが重いんだろう。




哀しみは下に落ちて、喜びはふわふわ舞い上がって、どこかに行ってしまいそう。




そんなイメージだよね。
















でもね、思うんだ。




感情というカテゴリーに分けるなら、どっちも同じ分類になるでしょ。重い、軽い、悪い、良いを分けるのは、別の何か。




それを思考っていうことが多いのかな、今は。なんかもっとしっくりくる言葉があればいいのに、て思うけど。




めんどくさいのはさ、哀しいって思う気持ちは自分で、哀しいきっかけは他人だったりするからさ、自分を卑下したり、他人を責めたり、あっちいったり、こっちいったり堂々巡りなワケ。




でね、これも前から言われてるけどさ、あらためて秋分あたりから府に落ちるようになったから書いてるんだけど、哀しいはダメ、うれしいはいいって、感情を天秤にかけるからつらい。




つまり、比較ね。




夕日のキレイさは、比較から感じるものじゃないよね。ただそうだから、だよね。




だからね、これも間違えそうになっちゃうんだけど、哀しいも楽しいも、今、私が人間だからわかる感情。どっちもステキ。悲しくなる感情さえも、魂が今、それを感じたいんだ。あぁ、生まれてよかったぁって。




それをね、常識やプライドの天秤にかけてジャッジせず、ただ感じる。むずかしいけど、やってみてるんだ。あぁ、私、悲しい。あぁ、私、うれしいって。そんな時の私の顔は、ただ私であってキレイなんじゃないかな。




するとさ、なんで哀しいんだろうって理由がでてくる。それもまっすぐ感じる練習。ただ、そうなんだ。変えようとしない。コントロールできると思うからしんどい。そうなってる自分が許せなくなる。




現実は自分のエネルギーが引き起こしてるんだけど、それもさ、周りくどいけどハイヤーセルフの自分が起こさせてるんだよね。気づくために。本当の望みは何かをわからせるために。




あの人がイヤ、これがイヤ。その反対には、こんな人がいい。こっちがいい、があるから。現実を変えるんじゃなくて、望みにフォーカスするって、そーゆーこと、かな。








今日10月10日は娘の誕生日。夜、23時17分に地球に降り立ちました。トップ画像は、今年の私の誕生日9月26日の写真。来月は旦那さん。今度生まれてくる子は、いつだろう。




ひとつ前の記事にも書いたけど、人間として体を持ったのは経験するため。




ただ、それだけ。




朝のちょっと混んでる電車に乗って、これを書いてることも時短で仕事することも、娘の誕生日当日は何をサプライズしようと考えることも、すべてが経験。




ありがたい。




産まれてよかった。




ただ、そんな気持ちになりたいから私の世界からは、良い悪いを決める天秤はなくそう。天秤座だけど笑







おしまい。