まいにちワンダーランド

~過去をはき出し光に変える毒出しエッセイ~森中あみ

生きたくて産まれたのに、生きることが面倒くさすぎる。

悲しい物語は、いくらでもある。探せば探すほど、深く抜け出せない泥にハマっていく。そのくせ、脳内にはドーパミンが溢れ出す。もっと、もっと求める。動かす指は、一時停止中でも即座に動き出せるように待機している。

自分以外の何かから強制的にストップさせられない限り、止めたくてもやめられないコワイ魔法のようだ。

男の子が泣いている。大人の女性のような声で泣いている。

「生きることは面倒だ」母がたまに口にしていた。真実なのだろうけれど、自分と他にきょうだいをふたり産んで育てた母から出る言葉として、その真意を深掘りする勇気が出なくて、いつも聞こえないフリか、うんとだけ相槌を打った。

40歳を過ぎ、結婚、出産の経験を得た今、ふと思う。「生きることは面倒だ」だけれど、生きなければならない。途中で止めることはできない。お空の世界の話では、私たち魂は地球に生まれたくて生まれたくて、列をなしてその順を待つと言う。その際、母親を決めて降り立つ魂がほとんどらしい。「生きることは面倒だ」と口に出す母を選んだのは、私ということになる。

なぜだ。

生きたくて産まれたくて、この世に降り立ったのに「生きることは面倒だ」と感じている。本気で感じている。

例えば、周りの人間たちに対して。会ったこともないけれど、地球のどこか、日本のあの辺りにきっといることがわかっている人たち。今、目の前にいる家族。目の前にはいないが、地元にいる家族。友達。職場の人たち。

関わり合いのない人たちも含めて、すべての人たちの言動がわかってしまう。それが面倒だ。それならば、見なければいい。そうです。その通りです。ですが、見たくなくても、今は会いたくなくても存在する人のことを考えざるを得ない。それが人間なんじゃないだろうか。

あぁ、面倒くさい。本当に本当に。

考え出すと、見始めると沼にハマっていく。だから、こうやって気持ちに合う言葉を探して、つないで、残すことで、すこしラクになりたい。

それが私の書く理由。