まいにちワンダーランド

~過去をはき出し光に変える毒出しエッセイ~森中あみ

夫を見直すとき、それは私の才能から逃げない覚悟を決めたとき。

「それならグランドデザインやね」と運転席から夫は言った。

私はよく、あーだこーだと未来への意気込みや世の中への不満を夫にぶちまける。その日も、娘の通院で府立医大へ車を走らせている途中だった。

「え、なにそれ、そんなんがあるん?」未来日記のようなものだと思った。後部座席から軽く返す。

遠からず近からずの返しだったんだろう、まぁそんなもんやね、と言いながらスマホでちゃちゃっと検索画面を見せてくれた。

イメージする未来から現在までを逆算してやるべきことを具体化する。それをグランドデザインというらしい。なんだかかっこいい。

形式ばったものにハメられるのは、まったく好きではない私だけれど、娘の入院で養われた夫婦タッグにより、これまで仕方ないかと諦めてたことも、あくまでスマートに、あくまで謙虚さを持ち合わせながら進んでいくことで、あたらしい答えにたどり着くとわかってから、夫のこうした発言は私をもっと飛躍させる一番てっとり早い方法ではないか、と思うようになった。

つまり、カンタンにいうと夫を見直したのである。さらにいうと、夫に対して素直になろうと思ったのである。

これまで夫と話しているとなぜかいつも、反骨心がむき出しになった。長男長女気質の私たちだから、自分のイヤな部分を相手に見るようだったんだろう。だけど、それは私だけで、夫は私に対してあからさまに何かを押し通すことはなかった。

たまに仕事帰りの夫がひと息つく前に何かを言い出しても、私がすぐに、わかるわかると言いながら自分の好みの論点にすり替えた。夫は最終的に、私の正論に納得するのと同時にスッキリした顔で、スーツをぬぎ、私に急かされながらごはんを食べ始めるのだった(ごめん、夫よ)

娘のことで夫とふたりで先生から話を聞いていても、私の意見を押し通すことが多かった。最初はそんなつもりはなくても、話しているとだんだんと言いたいことが湧き出してきて、これは言っておかないと、という大きな責任感に押されるようにどんどん言葉がでてくる。

先生も夫も、私に圧倒されるように話を進めながら、ヒーヒーで着地するのだけれど、後から私は「これでよかったんだろうか」と必ず反省していた。自分の意見を通したとはいえ、それでよかったとは私も思っていないのだ。あくまで、私はこう思うのだけど? という私の主張はいつもかなりすごみがあるのかもしれない。ほんとうにほんとうに、まったく自覚はないのですが、弟や妹に「ねぇちゃんは、こわい」と言われていたから、そうなんでしょうね。

夫の意見を採用するのは、あくまで自分と同じ方向性だったときだった。だけど、心のどこかではわかっていた。私とちがう夫の意見に耳を傾け、実行することがどういうことであるか。それは、私の知らない、見たくない、こわい部分に触れること。つまり、私の才能をわかりやすく開花させてしまうことになるのだと。

なんだよ、そのオチかよ、と思ったあなた、ごめんなさい。でも、そういうことありませんか? 夫婦に限らず、この人の言う通りにしたほうがいいのは、心の奥の奥の本当のまだ顔を出していない自分がわかっている。

だけど、こわい。

だから、こわい。

だけど、私はついこの間、夫との最強タッグを感じざるを得ないことになったのである。それは、ベビザラスでのことだった。

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