まいにちワンダーランド

~過去をはき出し光に変える毒出しエッセイ~森中あみ

ひとり情熱大陸は存在するか

「書くことは生きることです」

わかるような、わからないようなフレーズ。

2014年10月、はじめてライティング講座の扉を開き、先生にもらった言葉。

あれから6年、わたしのはじめてのライティング講座の生徒さんにも伝えたい。

書くことは生きることです、と。

だけど、どういう意味? 先生、よくわかるようでわからない。そんな言葉も聞こえてくる。6年前の私は、わかったような気になっていた。本当の意味で、この言葉をかみしめられるのは、自分で開催した講座の生徒さんの文章を読んだから。

これまではずっと、一人で書いてきた。

文章を誰かと共有するメリットが思いつかなかったし、その必要もなかった。あなたより私の方が書くのが得意だから、書きますのスタンス。だけど、違和感があった。書いている内容は相手の人生。あなたの人生を私が書く。本当にいいんですか? と思っていた。

だけど、書き終えるころには本人に乗り移ったような気になって、書きながら感情が沸き上がってくるし、涙をこらえて保存ボタンを押す文章は100%喜ばれ、拡散され、語り継がれる。だから、そんなに思いつめずに、依頼してもらったものは本気で相手になったつもりで書く。それでいいのだと思うし、これからもそうしていくし、自分が相手になれる感覚が大好きだから続けていきたい。

今、それと同じくらい相手の気持ちになって涙しそうになるのが、生徒さんが書いた文章を読んで、その思いを汲み取ろうとする作業。

つかめそうにないものをつかんだと感じた瞬間。私が海と空が好きなのは、どこまでも深く進んでいけるから。その先に何があるのかわからないけれど、きっと何かあると思わせてくれる自然を感じていたい。文字の先にある目に見えない感情をつかみにいこうとする作業が好きだ。

生徒さんも自分の奥深くにあるはずの感情をつかみとろうと懸命に文字を書いて、消して、選んで、書いてを繰り返しているのがわかる。

人生も同じ。

どんな目的をもってこの世に誕生したのか忘れてしまっているものを、試行錯誤しながらつかみにいくのが人生。

自分で設定したにしろ、さまざまなトラップが待っていてイチイチそれに惑わされてしまうのも文章と同じ。書いているとさまざまな感情や記憶がよみがえってきて、クライマックスまでの道をはばむ。そのトラップと本当を見極めながら、進んでいく。

トラップだとわかっていては面白くない。上がったり下がったりするから、ドラマもマンガも映画もまた見たくなる。

ある生徒さんは、引っ越しのタイミングで揺れ動く気持ち。うれしいけど悲しい矛盾する気持ちが、今まさに体験している移動と共に変わっていく。ある生徒さんは、そもそも書くことがぜいたく品だと。生きること、感情をとても丁寧に扱いたいから、誰の気持ちもそう捉えたいからこそ、書いてしまうことに躊躇する。こんなチープな言葉で表せるような人生じゃないわ! と思っている。たぶん。

書くことは生きること。

私はこれを人に教えてもらった。ひとりではできなかった。これからも教えてもらい、伝え続ける。そのために書き続けよう。書けなくなるまで、書こう。生きられなくなるまで、書こう。それは、私が生きた証。生きるのにスキルも、何も関係ないよね。

あるのは情熱だけ。だけど、ひとり情熱大陸は存在しない。誰かと想いを共有してこそ、人生。本物の情熱大陸だって、主人公のまわりにたくさんの人がいるでしょ。たった一人の情熱大陸なんて見たことないよ。

スキル、テンプレート、実践書、世の中には手っ取り早く成功できる方法がたくさんある。

私もそれに大変お世話になり、マインドを鼓舞し、今まさに人生を爆走している最中。

それでも言いたい。

まずは情熱。それがなければ生きていけない。

行きづまったら、情熱を思い出そう。初心に返ってみよう。情熱だけに突き動かされた行動をしてみよう。そしてまた日常に戻って、何事もなかったかのように笑顔で過ごそう。誰かの助けになろう。誰かに助けられよう。それを伝えたくて、私は書いている。

これから何度でも伝えていくよ。

「書くことは、だれかと共に情熱をもって生きること」です。