まいにちワンダーランド

~過去をはき出し光に変える毒出しエッセイ~森中あみ

my love!

ま、よくよく考えたらさ(よくよく考えなくてもわかれよ、なんだけどさ)フツーに家にいて、ごは話を食べて、旦那さんが帰ってくるのを待って、娘のダンスをチラ見しながら、スマホを見て、できる生活って、チョー幸せなんだよね。

ほら、思い出してごらんよ(何かの歌詞?)帝王切開後の麻酔の影響で5日間、頭痛で起き上がれなかった。「まだですねぇ」と後ろを振り返り、歩き去る先生の背中がうらめしかった。あんたはいいよね、フツーに立って歩けるんだから。

起き上がれないから横になってテレビを見ていて、イケメンのニュースキャスターが出ると、あんたのポテンシャルを1000%使って生きれば、何でもできるよと本気で思った。

今、私だって、あたまが使えて、両手足が動いて、痛みがなくて、なんでもやろうと思えばできる状況なんだよ、あの時のニュースキャスターと同じよ。

未来の目標を見据えて(忘れずにいて)、そのための一分一秒があると思えば、お金や時間の制限も楽しめるし、人間関係だってゲームみたいに攻略すればいい。

じぶんの本音を抑圧して、なかったことにするのが一番もったいない生き方。不完全燃焼。やりたいこと、欲しいものがでてきたら、まずは「うん、そやね」と受け止める。

イヤな気分もおなじ。

うん、そやね、と受け止めて、できない、ムリとなかったことにせず、それができたときの自分を想像してみる。妄想なら、いつでもどこでも、瞬時にできるし、叶う。

目に見えるものは全体の3パーセント。見えてないエネルギーも常に動いてる。何かを生み出そうとしている。悲しいイメージも、うれしすぎるイメージもおなじように形作られるのに、どうして私は悲しい妄想を本当だと思い込んでしまうのだろう。

理論はさんざん学んだ。ありえないことが起きることも疑ってない。それなのに、自分にその理論が当てはまると思えないのはなぜ? もっとがんばらなきゃ、もっと他にいいものがあるかもしれないと思うクセを、もっとできる、今の気持ちが次の未来を作るってほうに変えよう。

うらやましいあの人は、次の瞬間のわたし。